ちりあくたのつぶやき

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【映画レビュー】YouTubeの「リプレイ機能」が証明してしまった、『ファニーゲーム』の最悪な罠【ネタバレあり】

 ※この記事はネタバレありです!

 

監督:ミヒャエル・ハネケ

出演:スザンヌ・ロタール、ウルリッヒ・ミューエ(「善き人のためのソナタ」)

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テーマは「フィクションの中で消費される暴力への痛烈な批判」

 本作のテーマは一貫している。「フィクションの中で消費される暴力への痛烈な批判」です。

 

 物語は、裕福な一家が別荘へと向かう、一見穏やかなバカンスから始まる。しかし、白い服を着た青年が「卵を4つ分けてほしい」と訪ねてきた瞬間から、不穏なカウントダウンは始まっている。落として割れた卵は、これから理不尽に破壊される家族の命の暗示。

ハリウッド映画的な文脈の破壊

 ここからハネケ監督による「ハリウッド的な映画の文脈」の破壊が始まる。


 まず、家族で一番頼りになる父親の足がゴルフクラブでへし折られ、危険を察知した愛犬が殺される。ハリウッド娯楽映画では、犬や子供は“守られる存在”として扱われがちだが、本作はそれを容赦なく破る。そして不意に、犯人の一人が画面のこちら側(観客)に向かってウインクを投げる。

第四の壁による観客への挑発

 夜になり、生き残りをかけた絶望的な「ゲーム」が宣言され、タイトルが回収される。ここで観客は、監督が「第四の壁」を壊して挑発してきていることに気づく。

 

 「あんたたち、なんでこんな胸糞悪い暴力映画を喜んで見続けているの? 見るのをやめればいいのに」と。

 

 子供の殺害シーンを直接写さないのも、「まさか子供が惨殺される瞬間が見たいわけじゃないよね?」というハネケの意地悪な問いかけだ。観客が見るのをやめない限り、この暴力の共犯者であり続ける構造になっている。

公開から30年経過したからこそ、余計に胸糞の悪さが際立つ「あのシーン」

 そして終盤、ついに映画のルールそのものがハッキングされる「あのシーン」が訪れる。


 妻のアンナが隙を突き、男の一人を銃で射殺するのだ。

 

 今回、YouTubeで視聴していて驚いた。アンナが引き金を引く瞬間、画面のシークバーに「リプレイ回数がもっとも多い」という文字が表示されたのだ。


 映画の進行通り、観客はここでいったん「スカッと」する。しかし直後、もう一人の男が「リモコンはどこだ?」とテレビのリモコンを探し始め、現実の時間を巻き戻してしまう。アンナの反撃は「なかったこと」にされるのだ。

 

 このメタフィクション演出の恐ろしさは、まさにYouTubeのデータが証明している。
「ほら、あんたたち、男が射殺されてスカッとしただろ? 暴力を暴力で解決するシーンを見て興奮したよね?」


 ハネケが仕掛けた罠に、現代の私たちが「リプレイ機能」という形で、自ら欲望の証拠を刻まされてしまっている恐怖。映画公開から時を経て、ネット配信という環境がこの映画のメッセージを完成させてしまったのだ。

最後まで続く「梯子外し」と閉じる円環

 終盤、物語の伏線になるはずだったナイフという「チェーホフの銃(物語に登場した小道具は、後に意味を持つべきだという創作の原則)は何の意味もなさず、アンナはあっけなく湖に沈められる。

 

 そして犯人たちは、次の獲物の家へ行き「卵を分けてください」と微笑む。終わりのない悪意の円環がここで閉じる。

終わりに:ハネケ監督の持つ「委員長属性」

 ハネケ監督はおそらく、生真面目すぎるほどの「委員長属性」の持ち主の人なのだろう。「エンタメとしてカッコよく消費される暴力なんて嘘っぱちだ」と正論を突きつけてくる。


 ただ、ハリウッド映画に毒されている身としては、「正論すぎてぐうの音も出ないけれど、そこまで説教されましてもな……」と白旗を揚げたくなるのも事実。映画としては一級品だが、ハネケ監督にとって、私はあまり「いいお客さん」にはなれそうにない。

 

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映画『ひつじ探偵団』感想・考察|出オチじゃない!「反芻」する羊たちが人間の欲を暴く本格ミステリー【ネタバレあり】

 ※この記事はネタバレありです!

 

 レオニー・スヴァンの同名小説の映画化。タイトル通りひつじが探偵となって事件を捜査すると聞くと出オチみたいなコメディなのかなと思われるかも知れませんが、非常に手堅く作られたミステリーとなっております。

監督:カイル・バルダ(「ミニオンズ」)

原作:レオニー・スヴァン(「ひつじ探偵団」)

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hitsuji-tanteidan.jp

 大まかな内容は、聖書にあるキリストに関する話をベースとして「火曜サスペンス劇場(通称火サス)」のような王道感のあるミステリーです。

あらすじは王道のミステリー

 イギリスののどかな田舎町で、羊飼いのジョージが死体となって発見される。警察は“不運な事故”で早々に片付けようとするが、ジョージの被養育者たちはそれに反発、最も賢いリーダーのリリーを中心に結束して調査を始める。実はジョージは被養育者たちに毎晩探偵小説を読み聞かせており、彼らはその内容を理解していた。彼らは愛するご主人様の無念を晴らすべく、犯人捜しに奔走する。

本作最大のキモ、ひつじが事件を捜索!

 まあこのリリー達が羊であることが本作最大のキモですね。もちろん、この羊たちは演技指導されたわけではなく、CGなんだけど、かなりの手間がかかっているそうな。

現代の特撮技術だから可能になった、ひつじ達の造形

 リスクリーンに映るひつじたちは、CGであることを忘れるほどに生々しい。ふんわりとした毛並みに透過する陽光、そして何より、人間の言葉を喋らせるのではなく『ひつじの鳴き声』の動きのまま感情を表現したリップシンクの職人技に脱帽します。

 

 羊同士の会話で、「3秒経てば前のことを忘れる」みたいなのはどうも偏見らしく、本当のひつじはそこそこ頭も記憶力もあるそうな。

ミステリー部分は本当に王道、だからこそ手堅い展開

 ミステリーの部分だけど、ヒュー・ジャックマン演じる飼い主のジョージがある日死体で発見されるも、いったん事故で済まされようとするところを、リリー達羊がそれを怪しみ独自の捜査を開始する。

 

 もちろん彼らは羊なので、自分たちではどうしようもないから、人間に捜査するように仕向けたり、手がかりに気付かされたりしてサポートする。ティム・デリー巡査(ニコラス・ブラウン)がサブプロットになっていて、彼が何も起こらない田舎町で腐っているところに殺人事件が舞い込んでいささか興奮気味なのは笑う。

 

 もうひとつのサブプロットが、ジョージの娘レベッカ・ハムステッド(モリー・ゴードン)で、彼女は事件の被害者遺族でもあり容疑者でもある。

 

 このミステリー部分はかなりオーソドックスなもので、それまでに出て来た登場人物のほとんどに動機があり、ジョージには実は莫大な遺産があることでレベッカに疑惑の目が向けられ、登場人物も観客もミスリードされる。

 

 終盤に意外な人物が犯人であると判明し、リリー達の陰ながらの協力によりティム巡査がそれを公の場で発表。無事に事件は解決され、レベッカの疑いも晴れ、彼女は莫大な遺産よりも大事なものを受け継いでエンド。

ひつじたちの視点から浮かび上がる寓意

 本作は王道ミステリー(火サスやクリスティ的)でありながら、動物の目で人間社会の強欲さを炙り出す「寓話」の側面を持っています。「人間の欲(遺産争い)を、純粋なひつじたちが観察する。そう、本作の本当の魅力はリリー達の存在感にある。リリー達ひつじの挙動とリリーの成長(成長するんですよ!)を見るのがとても楽しいです。

楽しいひつじたち

 まずリリーですが、最初自分が羊達のなかでいちばん頭がいいと思っていたのだけれど、実はそうではないことがわかり、大事な仲間を途中失い不可逆に傷つき現実や自分自身に対する認識が変容する。そして「殻を破る(このままでは事件を解決できないのではないかという思い込み)」為に「反転攻勢(もう一度事件を、羊という反芻動物ならではの「反芻」によって振り返り、再度事件解決に向けて行動する)」する。

 

 「冬の子羊」として、他の羊たちからのけ者にされているセバスチャン。そして同じく文字通り冬の子羊という「名前の無い存在」が出て来て、その子は最後名前という「自己の尊厳」を獲得する。実は本当に賢いモップルや、いつもせわしないゾラ(もしかして、ADHDのレプリゼンテーションかな?)、逃亡する犯人を最後に留める役回りのロニー&レジー等、本当に愛おしく感じます。

コメディを楽しんで演じている人間側の俳優たち

 人間側の俳優たちも素晴らしく、このコメディを心底楽しんでいる感じがしました。なかでもリリー達からしたら恐怖の対象でしかない肉屋の親父ハム・ギルヤード(コンリース・ヒル)とジョージと同じ羊飼いケイレブ・メロウ(トシン・コール)が結託してある計画が判明するのは、基本コメディである本作のホラー要素として楽しめましたね。

 

 お話の内容そのものよりも、その結末までのプロセスを楽しむ種類の映画でした。

 

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【ネタバレ】ザ・ボーイズ 最終回感想|在庫一掃セールのような忙しないフィナーレに複雑な思い

※この記事はネタバレ満載です!


 アメリカ社会の歪みや権力を誇張して風刺し続けてきた『ザ・ボーイズ』がついに最終回を迎えました。

 全世界が熱狂した極悪非道ヒーローVS人間のドラマシリーズ『ザ・ボーイズ』。ついに最終回を迎えます。


 ファイナルシーズン(シーズン5)は、全体として「在庫一掃セール」のような忙しない展開が目立ち、週刊少年ジャンプの打ち切り漫画のような終わり方だったという印象は否めません。それでも、シリーズを通じて積み重ねてきたテーマに一定の決着をつけた点は評価できます。

 

 

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ファイナルシーズンの光と影

 良かった点として特に挙げたいのは、Aトレインの改心とその決着です。シーズンを通じて彼だけが劣化していた状態からキャラクターとして成長し、深みを見せた存在でした。

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 一方、ファイアクラッカー等の他のキャラクターは「可哀想だった」という印象が強く、もっと掘り下げて欲しかったというのが正直なところです。二代目ブラック・ノワールが特に目立たないで退場したのは、アメリカでの黒人がマイノリティであることを象徴させてはいるのでしょうが。

 

 シスター・セージのキャラクター造形は上手く行ったとは思えませんでした。「知能が非常に高い」のと「賢い」のは違うんですよ。

 

 ボーイズ側だけど、エピソード7ではついにフレンチーが犠牲になりました。でも、ここまでよく生き残ってきたものだと感心します。

自信の無さを感じてしまうアクションシーン


 アクションシーンについては賛否が分かれるでしょう。特に気になったのは以下の点です。

・ディープが二代目ブラック・ノワールを殺す場面
・ソルジャー・ボーイとボムサイトの格闘
・ホームランダーがソルジャー・ボーイを背後から首絞めで気絶させるシーン

 

 後者は特に不自然で、ソルジャー・ボーイ本人がボムサイトに対して同じ首絞めを仕掛けていただけに「その手は食わないだろう」と思ってしまいました。

 

 また、細かいカット割りで繋いでいるようにも見え、シリーズ後半のアクションへの自信のなさが垣間見えた気がします。


現実とフィクションの境界

 これまでアメリカをグロく風刺をしていた本作ですが、現実世界のグロさが完全にそれを上回ってしまい、何を描写しても現実に追い越されてしまう現象が起きてしまった。


 制作陣もそれを自覚していたのか、第5話では「早く走れるヒーローにセレブが殺される」という非常にメタな自虐ネタを披露していました。

 

 また、ホームランダーが自身をキリストの後継者として神格化するプロパガンダ映像のくだりは、2年前に撮影が完了していたにもかかわらず、現実の出来事(トランプ氏のAI生成画像投稿)と重なって大きな話題になりました。フィクションが現実を先取りしすぎた結果、制作陣自身が「追い越された」と感じていた部分もあるのかもしれません。


最終回の決着について


 ホームランダーの最期は、独裁者としての横暴を極めた彼にとって、あまりにもシンプルすぎたように感じました。彼はまさに現代の権威主義や「強い男(に見える存在)」像の象徴だっただけに、もう少しメタ的で象徴的な締めくくりが欲しかったというのが個人的な感想です。


 ハーヴェイ・ワインスタインに代表される、男性の権力者がやりがちな性加害と海洋エコロジーに対する若干冷笑的なキャラクターであるディープの最期は自業自得の典型で、ある意味彼らしい終わり方でした(シュモクザメの声がサミュエル・L・ジャクソンであることへの皮肉(映画「ディープ・ブルー」オマージュ!)も、気づいた人には刺さるでしょう)。ちなみに、「シュモクザメ」と検索すると「シュモクザメの声がサミュエル・l・ジャクソン」て表示されますw

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 彼というキャラクターが、徹底的に惨めに描かれる理由ですが、これは性加害者なんて大したことない奴なのだと、被害に遭った人達をある種ケアする効果を見込んでのことだと、今更ながら気が付きましたね。

改めて、「ザ・ボーイズ」というタイトルの意味


 最終的にブッチャーもヒューイによって倒される流れは、シリーズタイトル「ザ・ボーイズ」が象徴する「有害な男性性」を、作品が真正面から清算しようとした結果だと解釈できます。ホームランダーと鏡像関係にあったブッチャーが退場することで、ようやく彼の「解放」が描かれたと言えるでしょう。その前に飼い犬である「テラー(恐怖)」の死亡(実際にテラー役の犬は撮影後寿命を迎えた)はそれを強調している。

 

 ドラマは終わりましたが、この作品が問い続けた「スーパーヒーローとは何か」「権力とは何か」というテーマは、現実世界ではこれからも続いていくでしょう。

 

 ロッテントマトスコアは現時点で批評家97%、ポップコーンメーターは65%と批評家と一般の視聴者との間で乖離がありますね。

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 制作に関わったエリック・クリプキをはじめとするスタッフの皆さん、そして5シーズンにわたってこの狂った世界を一緒に観てきた視聴者の皆さん、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。

 

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映画「サンキュー、チャック」感想・考察 世界終末の意味と“人生賛歌”を読み解く(ネタバレありです!)

 ※この記事はネタバレありです!

 

 これはちょっと難しい映画というか、ノンジャンルなので自分でも上手く咀嚼できていないかもです。

監督:マイク・フラナガン

主演:トム・ヒドルストン

原作:スティーヴン・キングの短編小説「チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ」

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大まかなテーマとロッテントマトスコア

 大まかなテーマとしては「一人の人間の中にある複雑性や矛盾の肯定、人間賛歌」だと思います。

 

 ロッテントマトスコア、現在値は批評家80%、ポップコーンメーター88%と観客評価が高い。

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タイトルだけ見て一瞬誤解

 最初タイトルだけ見た時には、最近お亡くなりになったチャック・ノリスに対する追悼作品なのかなと思っていました。ちなみに、私的に彼の出演作では「野獣捜査線」「とテキサスSWAT」が好きです(聞いてない)

「世界終末もの」という読みが外れる

 冗談はさておき、序盤の流れだけなら「世界終末もの」だと思ったんですよ。最近のネトフリのアニメーション作品「キャロルの終末」みたいな。

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 冒頭、大地震や疫病によって世界が文字通り崩壊し始める(ミツバチが絶滅!)。ネットが使えなくなり、電話も普通。テレビは日本で言うところの「しばらくお待ちください」で、ついには電気も使えなくなり…というのはお約束なので。

タイトルであるチャック登場

 でも、そこから画面に何度も出て来る「チャック(アベンジャーズの「ロキ」役でおなじみのトム・ヒドルストン)」という、何かのミームみたいな人物が電気が使えなくなったはずなのに、家の窓にホログラムの様に出現し、そのチャックの人生に話が移る。正直脈絡もないので、見ているこちらは(?)でしかない。

 

 どうもこのチャックという人物、39歳で癌の為に死亡する運命にあるらしく、かろうじてこの映画が「ギリシャ的結末(運命には抗えないので受け入れるしかない)」だとわかる。邦題が「サンキュー、チャック」なのは死亡する年齢にかけてある。

踊りに象徴させた、ひとりの人間の中にある複雑性

 彼が自分が癌で死ぬということが判明する数か月前の状況で話が始まり、チャックはストリートパフォーマーの演奏に合わせてダンスを始める。本当に脈絡もなく。そして、聴衆の中で彼氏に振られてムカついている女性(ナレーションによる説明あり)を誘い一緒に踊り、喝さいを浴びる。

 

 このシーンを自分なりに解説すると、パフォーマーも映画を見ている観客も、パッと見スーツを着た男がまさか素晴らしい踊りをするとは思っていなかった。このシーンが象徴しているのは、ひとりの人間が内包している複雑性な訳だ。そして、女性を誘って一緒に踊るのは「そんなことで落ち込まずに、一緒に踊ろう(人生を楽しもう!)」という意味で、ここでもまたチャックの見た目とのギャップが描かれる。

死が身近にあるチャックの子供時代

 観客はこのチャックという人物に興味が沸いたので、そこから今度は彼のプロフィール紹介が始まる。彼の子供時代に遡り、彼は両親を事故で亡くして、じぃじ「アルビー・クランツ(マーク・ハミル!)」とばぁば「サラ・クランツ(ミア・サラ)」に引き取られて育ったことが分かる。

 

 両親を亡くしてチャックとじぃじもばぁばもすごく落ち込むのだけれど、チャックとばぁばは踊ることで生きる力を取り戻す。ばぁばがチャックを一緒に踊る様に手招きするシーンが反復され、この経験が元になって前の章でチャックが女性を誘った理由がわかる。じぃじはそれとは別に、お酒と数学でやりすごそうとする。

 

 で、今度はばぁばも病で死んでしまう。高齢とはいえ60代なので、早い。ここまでで、チャックの身の回りの人が結構お亡くなりになるので、彼の人生には死が付きまとっている気はする。

ノンジャンルながらもあるホラーとミステリー要素

 彼らが住んでいる家には、一か所だけチャックが入ってはいけない部屋があるのだけれど、ノンジャンルの映画だけどホラーとミステリー要素ではある。もちろんチャックは言いつけを破り、その部屋の中を見ようとするのだけれど、じぃじにこっぴどくしかられて頓挫する。

体を使って踊り、手に怪我を負う(身体性)

 子供時代から青年に達する前までのチャックの成長物語が映画のほとんどをしめていて、クライマックスとしては彼がばぁばと一緒に踊ったり部活で練習したダンスをパーティーで披露するところなんだけど、どうしても「?」が私の頭の上にはついて回り、この作品が何を言わんとしているのかはおぼろげにしか感じられない。

 

 ダンスパーティーで浮かれ過ぎて、彼は自らの過失で手に怪我を負うのだけれど、ここは原題とおり「If It Bleeds(流血沙汰)」で、つまり「血が出る→生きている→いつか終わりが来る」証だとは思う。

誰もが避けることができないもの

 今度はじぃじが病に倒れるのだけれど、じぃじは既に自分の死に方を知っていて、あらかじめ手を打ちチャックが経済的に困らない様にしていた。何故知っていたのかはあの「入ってはいけない部屋」に秘密がある訳だ。

 

 終盤、チャックはじぃじの遺品の中から部屋のカギを見つけ、ついに部屋の中を見てしまうのだけれど、そこには何があったのか、それは実際に劇場に行って確かめてみて欲しい。誰もが決して避けることができないものがそこにはあった。その部屋の静止画を背景にしてエンドロールが流れるのだけれど、それはもちろん観客にも突きつける意味がある。あなたたちも避けることは出来ないんですよと。

作品を読み解くヒント、ウォルト・ホイットマンとカール・セーガン

 この作品を読み解くヒントはもちろん映画の中にあり、映画の中でウォルト・ホイットマンの代表作「ぼく自身の歌」 (Song of Myself) の終盤(第51連)に登場する、非常に有名な一節がそれです。

 

 つまり、冒頭の世界終末描写はチャックという、複雑性という宇宙を内包している一つの生命の終わりの象徴だったことが分かる。なにせ最初の章が3章で、次が2章、1章と「3,2,1」とカウントダウンが始まってチャックは病に倒れる訳ですからね。

 

 もうひとつのヒントは、カール・セーガンの宇宙論。宇宙の誕生を1年間に例える「宇宙カレンダー」によると、人類の営みの始まりなんか12月31日の夜遅くの数秒間ほどでしかない。

限りある命を大切に

 そんな儚い世界や人間の人生だからこそ、大切に愛おしもうという普遍的なメッセージになっている。だから、劇中のメッセージの「チャールズ・クランツ、ありがとう。39年間の人生に感謝を」が「生まれて来てくれてありがとう、チャック」なのだと。

 

 私が見たかった世界終末ものとは微妙に位相が違いましたが、品のある良作だと受け止めました。

 

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映画『バタリアン』アマプラ配信開始!新録吹き替えの「オバンバ」に違和感?ネタバレ感想と評価

 ※この記事はネタバレありです!

 

 いつの間にかAmazonプライムビデオで配信が開始されていたとは…邦題は「バタリアン」ですが、原題は「The Return of the Living Dead」

初見の方に言っておくと、肩の力を抜いて楽しめます。

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特にオススメの視聴方法
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 ストーリーは、あのジョージ・A・ロメロのゾンビ映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が実は実際に起きた事件を映画向けに脚色していて、その元となったゾンビの1体が医療会社の地下倉庫にあり、誤ってその1体が入っているタンクを破損させ、そこから陸軍が開発した化学兵器であるゾンビ生成ガス「トライオキシン245」が噴出してさあ大変、といった展開。

 

 公開当時、真面目な(?)ホラー映画好きからはあんまりいい目では見られていなかったんですよね(遠い目)みんなロメロ原理主義者というか、原典に対するこだわりといいますか。

 

 物語内に主人公らしい主人公がいないのが特徴で、強いて言えばゾンビ軍団に追い詰められるパンク集団と火葬場のアーニー、医療会社のフレディ、フランクとバートですね。

 

 トライオキシン245の恐ろしいところは、ゾンビ化もそうなんだけど、そのゾンビの処分に困るところ。燃やしてしまったらそのガスが雲になり雨が降って地に降り注ぎ、墓の死人が蘇るところ。だから陸軍はゾンビ化した「タールマン」をタンクに閉じ込めるしかなかった。

 

 どうやら今回の配信にあたり、吹替えを新録した模様。同じくAmazonプライムビデオで配信されている「スペースバンパイア」では、字幕も吹替えも最初無かったのと対照的ですね。

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 で、実際に新録した内容を視聴したのですが、当時とかなり決定的に違う箇所があります。それは「オバンバ」の登場シーン。彼女(?)を捕えて尋問するシーンで旧吹替え版ではアーニーが「名前は?」に「オバンバ!」と答えるのですが、新録版では「聞こえるか?」に対して「聞こえる」になっている。

 

 ここらへん、英語字幕に切り替えると「聞こえるか?(You can hear me?)」「聞こえる(Yes)」となっていて実は新録版の方が正しい。でも、旧吹替え版に慣れ親しんだ身からすると寂しいです。そもそもあのゾンビにオバンバと勝手に名付けたのは日本側で、その方がなんかホラーコメディとして楽しさが増すと言いますか。

 

 最後は核弾頭による「爆発オチ」ではあるのですが、前述したようにまたその核の炎が煙になり、雲となって…といった風に収拾がつかないことが示されて物語は終わる。この後一応第5作まで続編は制作されるものの、やはり第1作の面白さを上回ることは出来ず、それ故本作は一種カルト的な人気を獲得している。

 

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Netflix『地獄に堕ちるわよ』感想|ドラマの「嘘」を暴き、本物の怪物を知るための『魔女の履歴書』

 ※この記事はネタバレありです!

 

 かつて芸能界の頂点に君臨していた、細木数子という占い師の人生を描いたドラマです。2026年4月27日からNetflixにて配信開始。

監督:瀧本智行、大庭功睦

脚本:真中もなか

主演:戸田恵梨香

このドラマは「自己神話(ナラティブ)を語る人物」を描こうとしたが、語りの構造設計が甘く、結果として“信用ならざる語り手”の面白さを活かしきれていない。ざっくり言うと「おま言う」です。

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始まりは2005年から

 物語の始まりは2005年、テレビで成功を収めている状態の細木数子が、小説家の魚澄(伊藤沙莉)に自分のこれまでの人生を振り返るという形式を取っている。エピソードは全部で9つ。

 

 リテラシーのある方であれば、エピソード1の時点でこう思うでしょう。「細木数子自身が自分のこれまでの人生を語るって、『信用ならざる語り手』の手法を取るのね。じゃあ途中から魚澄にその『嘘』がバレるんでしょ?」ってね。

「信用ならざる語り手」によるプロフィール紹介「汚い朝ドラ」

 案の定、エピソード7の序盤まで延々と細木数子が戦後の昭和の焼け野原で極貧を経験し、それが元で彼女の強い欲望が形成された。年頃になりその欲望を満たす為に稼ごうとして男に何回か騙されたりする。自殺しようともするのだけれど、2005年の細木数子が語っているので、追い詰められるという展開にはならず、物語の推進力は上がらない。何故なら生き残っている人がしゃべっているんだから。

 

 ヤクザにはめられてその情婦に無理やりさせられていたところを、これまたヤクザの堀田(生田斗真)に惚れられた為、彼が助けてくれたおかげで運よくその奴隷状態から脱するんだけど、このシーンって「王子様幻想」で、彼女には主体性がない。細木はどう考えても奴隷にされるタマではないので無理がある。

島倉千代子のエピソードから「女の履歴書」という「嘘」がバレる

 で、有名な島倉千代子とのエピソードが出て来てから彼女の嘘がバレる訳だ。彼女が語る自身の半生だけど、それがこのドラマの参考文献のひとつ「女の履歴書」という構成になっている。はてなブログのAmazon商品紹介では検索でヒットしないし、そもそも商品はブックオフか紀伊国屋書店でしか現在入手できない模様。

魚澄の役割と細木との対比

 サブプロットである魚澄の役割だけど、細木数子っていったい誰?という、2026年ではもう過去の人になっている細木数子を知るための案内人というか、視聴者とある種イコールの関係になっている。

 

 魚澄は夫と別れたシングルマザーで、小説が1冊しか書けておらず、今回の細木数子への取材でキャリアアップを果たしたいという造形。細木数子とあからさまなまでに対比がされていて、「細木数子=世俗にまみれている・金持ち・子なし」「魚澄=世間知らず(少女漫画!)・貧乏・子持ち」と少々露骨。

必ず読んで欲しい、ファクトチェッカーである「魔女の履歴書」

 細木の嘘がバレる展開は、このドラマの参考文献のひとつである「魔女の履歴書」を読めばわかるというか、読んでいないとこのドラマをちゃんと味わえないと思います。今作の配信に合わせて新装版にした模様。

 

 講談社の公式サイトで試し読みが出来ますが、本の目次だけでもう…電子書籍ではない紙の本では、今回のドラマ化に合わせて表紙が変わっているんですよね。

www.kodansha.co.jp

世界配信の為のチューニング

 そこから一応細木と魚澄の対決っぽい展開にはなるも、そもそも魚澄が架空のキャラクターなので、勝負のつきようが無いというか、魚澄を架空の、しかも女性に設定して無理やりフェミニズムっぽさを入れようとしているのはちょっとどうかと思います。ネトフリだから世界配信。なので、世界の女性が見てスカッとするような内容にチューニングされているとは感じましたが。

 

 エンドロールを見たところ、「スクリプトドクター(脚本のお医者さん)」がいないので、まずこの物語構成にメスを入れる人はいなかったんでしょうね。

 

 であるが故にここらへんに表現者の内発性を感じないし、このドラマ自体が、成功させることが至上命題の商品にしか見えなかったりする。ピカレスクをやりたいんだろうなというのはわかるんだけど、それは上手くはいっていない。

賛否が分かれる戸田恵梨香の演じる上でのルック

 細木数子を演じる戸田恵梨香さんの演技は評価できますが、歳を取るにつれふくよかになっていくというメイクをせずに演じているので違和感が拭えませんでした。こういうところで特殊メイク技術を使う物でしょうに。

 

 同じ伝記作品(?)として、アリ・アッバシ監督の「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」を例に挙げます。今作では、ドナルド・トランプを演じるセバスチャン・スタンが、変貌していくトランプを本人の演技と特殊メイク技術(人工皮膚等)が合わさることで見事に表現していました。

文明人であるほど再現不可能な昭和の「毒」

 そして、彼女の演技の巧拙以前に、戦後の昭和生まれに何人かいた、極めて危険な怪物を今の良くも悪くも社会化・法化された文明人が演じるのは少々無理があるんですよ。あの毒はあの時代に生まれ育った者のみが醸し出せる。それが出来るのが俳優の仕事なのかも知れませんが、こればっかりはちょっとね。

蘇らせてはいけない人

 それと、こんなことを言ってはいけないのかも知れませんが、細木を主人公にしたドラマは作ってはいけないと思いました。かなりの悪逆を尽くした彼女に下される罰。それは「忘れ去られること」なのに、こうやってドラマにすることで「死者を復活させてしまった」

監督と脚本の責任

 二人いる監督のうちのひとりが、あの元の映画のテーマを踏みにじったリメイク版「新幹線大爆破」で脚本を務めた大庭功睦なので、こんなどうしようもない展開にしてしまったのでしょうし、脚本の真中もなかさんも大概だと思います。

www.dustnddirt.com

 まあ当方男性なので、女性が見たら共感できる箇所が多いのかも知れないし、それこそが制作陣のねらいであるならば成功している面はあると思いますが、ドラマの題材というか人選には関心しませんね。

 

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令和に『北斗の拳』をリメイクする意味とは?199X年を過ぎた世界で感じる「違和感」の正体「北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR-」第1話だけ見て

 何故40年前のコンテンツをリメイクするのか、ちょっとわからないですね。

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とそこのわからないところをgemini様にたずねてみたところ、以下の返答がありました。

mazonプライムビデオで世界独占配信が始まった新作アニメ**『北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR-』**、非常に注目されていますね。

このリメイクが実現した経緯と、今回のプロジェクトの特徴をまとめました。

1. 「連載40周年記念」プロジェクトとしての始動
最大の契機は、1983年の連載開始から40周年を迎えたことです。この節目を祝うためのビッグプロジェクトとして、ワーナー ブラザース ジャパンとアニメ制作会社「TMS(トムス・エンタテインメント)」がタッグを組み、完全新作として再始動しました。

2. 制作の狙い:原作への忠実な再現と最新技術の融合
今回のリメイクには、大きく2つの意図があります。

原作への回帰: 1980年代の旧アニメ版は、放送スケジュールの都合で多くのアニオリ展開(引き延ばし)が含まれていました。今回は最新のアニメーション技術を用いながらも、**「武論尊・原哲夫両氏が描いた原作の世界観を忠実に再現すること」**を最優先に掲げています。

最新技術の投入: 原作の持つ圧倒的な劇画の「密度」を再現するため、手描きアニメと最新のCG技術を融合させた手法が取られています。

3. 世界展開を視野に入れた「世界独占配信」
タイトルに英語の副題が含まれていることからも分かる通り、最初からグローバル展開を強く意識しています。Amazonプライムビデオでの世界独占配信という形態をとることで、日本国内だけでなく世界中のファンへ同時に届ける体制が整えられました。

 だそうです。

 

 まあ試しに1話だけ見てみましたが、もう原作が持っているツッコミどころに時代の変化が加わっていました。かなり決定的と言える箇所がありまして、あのさ私ブログで文字を大きくしたり強調フォント使ったりしないんだけどさ、今回は特別に使いますね。

 

 今2026年だよね?199X年とやらって、もうとっくに過ぎているよね?

 

 ここだけでもう真面目に見る作品では無いことが告知されているも同然。世界線が違うとでも言いたいのでしょうか?なろう系作品の「ナーロッパ」みたいな「なんちゃって世紀末」的な世界と受け止めないといけないのでしょうか?

 

 そして文明が崩壊したことを描写する為に、いわゆる「北斗の拳に出て来るモヒカン」が、無辜の人々を襲い、リソースを奪うシーンに移る。この文明が崩壊し荒廃している世界の元ネタは「マッドマックス」で、モヒカンは「2」に出て来る「ウェズ(演じるは「コマンドー」のベネット役でおなじみのヴァーノン・ウェルズ)」から引っ張って来ているのはみなさんご存じのとおり。

 

 ここでもまたツッコミどころが多くて、このモヒカン達ってなんであんなにガタイがいいの?文明が崩壊してリソースが不足しているんだよね?どこからタンパク質を調達しているの?バイクに乗っているからガソリンも不足しているだろうに、馬かマウンテンバイク使うだろそこはっ!

 

 略奪した物品の中に紙幣があるのがわかって「ケツを拭く紙にもなりゃしねえのによー」というのは文明が崩壊していることを示してはいるが、お尻は拭けるだろうし紙も貴重だろうによとここでもまたツッコめる。

 

 ケンシロウの造形と北斗神拳だけど、wikiで調べればわかりますが、ルックはブルース・リーで、秘孔は要するに「ツボ刺激」で、それで人体が爆発するのはたしか「スキャナーズ」元ネタだったはず。

 

 第1話の解説というかツッコミに戻ると、悪役のジードがケンシロウのいる村へ略奪に来るんだけど、ジードが何か飲み物が入った瓶を飲んだ後、その瓶を無造作に捨てるという細かい箇所だけどここでもまたおかしくて、瓶とかそんなもったいないことする?資源が不足している世界なんだよね?

 

 ジードとの対決で、北斗神拳による人体爆発(ゴア描写)が描かれるんだけど、18+という年齢制限を設けていることもあり、1984年のテレビアニメでは人体を黒く塗りつぶしてテレビ向けにチューニングしていたのを心置きなくがっつりと爆発させているのは好感が持てました。

 

 原作通りに最新の技術を使ってリメイクしているのはわかります。が、原作が持っているツッコミどころもそのままでしたね。やっぱりこのコンテンツは時代が生んだ産物で、40周年記念でリメイクしても当時のパワー、特にナレーションの千葉茂さんのあの血管が切れそうなエキセントリックな言い回しや、やられていく雑魚キャラの断末魔をだんだん声優さんたちが「金が無えー!」「俺もだー!」とか言い始める「遊び」が無さそうな、良くも悪くも「真面目さ」を感じますね。

 

 やっぱり世界を意識したグローバル展開だから、若干内輪ノリみたいなものは排除しているんでしょうけど、1984年版に親しんだ私には少し寂しい気がしましたね。