ちりあくたのつぶやき

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映画「キャタピラー」 感想レビュー|若松孝二監督が描く戦争の残酷さと加害性の逆転 – 寺島しのぶの迫真演技(ネタバレありです!)

 ※この記事はネタバレありです!

 

 若松孝二監督が後世の人々に送る、明確なまでの反戦映画です。

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キャタピラー

キャタピラー

  • 寺島しのぶ
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 物語冒頭は日中戦争から、しかも何故かスタッフロールから始まる。これは国家という、「フィクション」が引き起こした物語が終わった描写。そこで黒川久蔵(以下久蔵)が中国人女性を強姦しているシーンが重なる。

 

 そして場面は転換し、久蔵は故郷へ帰って来る。戦争による負傷の結果、両手両足は無くなり顔はひどく焼けただれ、耳はろくに聞こえないという、まるで「芋虫(キャタピラー)」となって。

 

 その姿を見た本作の主人公である久蔵の妻シゲ子は錯乱し、人が見ていないところで久蔵を絞め殺そうとする。だが倫理的なブレーキがある為に彼女は殺しきれないで久蔵の介護をするのだが…というのが筋立て。

 

 ベースにしているのはおそらくカフカの「変身」なのではないかなと。

 戦地に行く前と後で「変身」してしまった久蔵に対するシゲ子の態度もまた「変身」し、かつてはDV夫だった久蔵との権力関係も逆転する。

 

 戦場ではない平時の田舎に戻り、療養が済んで気力と体力が回復したからかなのか、久蔵は遅れてPTSDを発症する。強姦をした過去がフラッシュバックするのは、人を傷つける行為もまた自分を傷つける行為である証。

 

 序盤にシゲ子が久蔵を絞め殺そうとしたのは、要するに夫に戦場で死んで欲しかったという思いがあったから。

 

 で、中盤まで旺盛な性欲を示していた久蔵が過去の記憶がフラッシュバックして性的に不能になり、性行為を拒絶しているのを、今度はシゲ子が強要するのは明らかにDVになる訳だ。夫婦間の性行為であっても、両者の同意がないのであればそれは強姦と変わりがない。

 

 強姦する側からされる側に自らの位置が変わることで自らの加害性をそこでやっと認識するという展開、ジョシュア・オッペンハイマー監督のドキュメンタリー映画、「アクト・オブ・キリング」を想起させますね。

アクト・オブ・キリング

アクト・オブ・キリング

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 過去のフラッシュバックとシゲ子による拷問の末、文字通り芋虫の様に這いずり生きる苦しみから逃れる為に久蔵は水場に自身を沈めて自害して果て解放される。

 

 そしてラスト、今まで赤い服を着て、みんなが「大日本帝国というフィクション(天皇陛下万歳!)」を生きているのを小馬鹿にして俯瞰する位置にいた「クマ(篠原勝之)」が、とうとう普通の服を着てシゲ子と一緒に「大日本帝国万歳!」ではない「戦争が終わった万歳!」と言ってこれまた解放される。まあでもそのあとすぐにみんな「アメリカ様万歳!」ってひっくり返るんですけどね…

 

 「プライベートライアン」と同じく、「勇ましく戦争を唱えている奴ら、これを見ろ!これが戦争なんだぜ!」と言ってくれている訳だ。もちろん時が経てばみんな忘れてしまのうで、こういう物語は何度も何度も繰り返し語られる、「老人の繰り言」かも知れないけれど、それは必要だから語られる。

 

 

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