ちりあくたのつぶやき

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「あんた誰?ここどこ?今日はいつ?」 映画「CURE」感想(ネタバレありです!)

 見るのはこれで3回目。その頃の私の映画に対するリテラシーはとても低くて、ヒドイものでしたが、いままでこの作品の解説とか見て来たので理解度は増したと思っています。人によっては黒沢清の最高傑作に挙げる方も多いでしょう。

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 あらすじはwikiとかで全部出ちゃっていますが、ざっと説明すると、体をX字に切り刻まれる殺人事件が多発する。加害者同士に関係性はなく、犯行の動機を聞いても気づいたら殺していたとか、前から被害者のことが嫌いだったとか言ってまちまちではあるが、はたから見ても特に加害者と被害者の間には問題が無いように見える。

 

 で、この事件を引き起こしたと思われる「重要参考人(直接の加害者ではない)」である間宮という男が出て来て、後の殺人を引き起こす人たちに向かってこうつぶやく「あんた誰だ?」「何してんの?」って。

 

 この問いがなかなかこちらのリテラシーを求められるのは、要するに近代文明社会を生きている人たちに向かってその前提を揺さぶる訳だ。お前ら本当に生きているのかと。ただ単にこの社会を維持する為だけに生きているのではないか?と。

 

 そして各人の押さえつけていた欲望をむき出しにして増幅させる。ここで間宮が使うのは光の明滅だったり水の流れだったりする。殺人という、社会通念上決して許されない行動をさせることによってみんな解放され「癒されていく」だから「CURE(癒し)」が映画のタイトルになっている。まあ本当は「伝道師」がタイトルだったけど、オウム真理教事件の記憶が生々しいので変更したそうだけど。

 

 主人公の刑事高部(役所広司)は、精神に問題を抱える妻を持ち、帰宅するたびに空回しになっている洗濯機を停止するというストレスを抱えている。黒沢作品はメタファーが露骨だとか言われてるそうですが、私にはここまで描写してもらわないとわからないのですが、この空回しの洗濯機は高部の送っている日常の空疎さを表している。

 

 で、中盤になって間宮が捕まるというより見つかる。そして高部と対峙するんだけど、もちろん高部もまた自分の生きている前提を揺さぶられる「自分は何者なんだ」とね。

 

 空疎な日常を送っている高部は、我々近代文明人の象徴で、この社会を維持する為だけに生かされているのでどんどん力を奪われている。ファミレスの描写が2回あるけど、1回目は高部は注文した料理にほとんど手をつけていないくらいに食欲すら減衰している。

 

 高部もまた間宮によって己の秘めていた欲望であるところの「妻の面倒を見たくないので殺したい」という黒い欲望をあらわにさせられ、実行してしまう。高部はまた間宮も殺してしまうのだけれどもはや殺人事件を追う話ではなくなっていて、間宮の言うように、高部に自分と同じ「伝道師」の才能を見出したので、自らが高部に殺されることで伝道師の役割を移譲する。

 

 そして最後、2回目のファミレス。伝道師の役割をただ移譲されただけではなく、注文した料理をきれいに残さず食べるほど力を取り戻した高部は、間宮の様に催眠暗示のしぐさをする必要のない、ただそこにいるだけで周りに影響力を及ぼすほどの存在となり物語は終わる。ウェイトレスが包丁を手に持って向かうその先は、もちろん自分を注意した上司の元。