※結末のネタバレを含みます
ジュリアロバーツ主演のサイコスリラー映画です。
↓ロッテントマトスコアはかなり悪いです。
あらすじは、大学教授のアルマ(ジュリア・ロバーツ)が、同僚の大学教授ハンク(アンドリュー・ガーフィールド)から相談を受ける。
「もう終わりだ!俺が学生のマギーをレイプしたことになっている!たしかに誘われたのは事実だが、彼女が論文を盗用していたのを温情でなんとかしようと家を訪ねただけなのに!」と。
レイプ被害を受けたとおぼしきマギー(アヨ・エデビリ)だが、キャラクターの造形がいわゆる「ポリコレ」テンコ盛りで、黒人女性のセクシャルマイノリティだったりする。
もちろんポリコレって略すと蔑称になるのでちゃんと表記すると、「ポリティカル・コレクトネス」であり、「政治的配慮」なんだけれど、それが行き過ぎた現代的な正義の暴走の結果、現在のアメリカの大学、引いては社会全体がどうなってしまったのかが描かれる訳だ。
しかもご丁寧にアルマに授業中の「フーコーのパノプティコン」を説明させることで、この映画が何を言わんとしているのかを序盤で説明している。
まだ私も読了していないのですが、この映画の副読本として、「傷つきやすいアメリカの大学生たち」がとても参考になると思います。
どういうことかと言いますと、つまり行き過ぎたポリコレとSNS(一望監視施設)によっていつの間にか近代文明社会が全体主義の様に窮屈な、何かちょっと失言したりやらかしただけで炎上し、一発アウトみたいになってしまった状況が報告されている。
ハンクがマギーと性的な関係を持ったのかは結局のところグレーであると描写されている。具体的な証拠がなにひとつ提示されていないにも関わらず、結局ネットでマギーが拡散した疑いによって、保身を図った大学からハンクは解雇される(功利主義)。
最初は同情していたアルマだったが、中盤でマギーの本性が見えてしまい、そこにアルマ自身の「未清算の過去」も絡んで来る。彼女は序盤から嘔吐を繰り返し薬を飲んでいるのだけれど、その原因を精神科医の夫フレデリック(マイケル・スタールバーグ)には打ち明けない。
夫婦仲はあまり良くないんだけど、フレデリックは決して彼女につらく当たる様な真似はしない。
で、マギーの行動がアルマの未清算の過去を呼び起こしたので彼女は精神的に追い詰められ、望んでいた終身大学教授(テニュア教授)を保留される。ここでもまた同僚の自己保身によって彼女の「やらかし」はがっつりと報告されてしまう。
さらに追い打ちをかける様に、悪い意味で「意識高い系」の大学生に取り囲まれてストレスが限界に達し、彼女はとうとう入院する。ここらへんで映画のタイトル「狩りの後で」の意味が浮かび上がってくる。これはつまり現代の「魔女狩り」の話なんだと。ひとたび疑いをかけられたら、それを払拭するのはほぼ不可能。
入院した彼女を献身的に看病する夫(この夫のキャラ造形って、男にとって都合のいいパートナー女性を男女反転させただけだよね?)の前で、ついに彼女は自身が過去に犯した「罪」を告白する。この罪の内容は是非各々で確かめて欲しい。
自身の過ちを告白し、それを他者に聞いてもらうことで彼女は遂に過去を清算する。
そしてラスト、五年後彼女はとうとう学部長になり、大雪のなか何故かマギーと再会する。マギーを傷つけたことを謝罪するのだが、何故あそこまでもめた彼女とふたたび会ったのか?それは同じ「罪人」だから。しかもその罪の度合いははっきり言ってアルマの方が深い。大学をクビになったハンクのその後がちゃんと破滅していないとこからも分かる。
かなりアート寄りだけど、脚本自体は普通のアメリカ映画原則に従っていると感じました。
全体的な感想としては、アルマとマギーの話自体を狂言回しにして、現在の社会がどうなってしまっているのかを描写している。でもこのテーマだと、ドキュメンタリー映画の方がよかったのではと感じましたね。ロッテントマトスコアが低いのも納得してしまいます。ジュリア・ロバーツの演技だけで場を持たせている感じ。
私が印象的というか、本音をぶちまけたなと思ったシーンは、アルマがマギーに対してはっきりと、「あなたは平凡でやる気の無い学生にすぎない。あなたを気にかけてやっているのはあなたの親が金持ちだからだ!」と本人に直接告げる場面なんだけど、これを現実では言えず、だからこそ物語のキャラクターに言わせるくらいしか出来ないほどに、いつの間にか窮屈な社会になっている。もちろんよくないセリフなんだけど、映画を見ている観客に対して、「あんたたちもこう思っているんだろう?」と半ば煽っている。

