※この記事はネタバレありです!
おそらく今後の世界情勢故に、劇場まで映画を見に行くという贅沢が出来るのがこれで最後になるであろうと思い、この今日的な作品を見届けました。

- 本作の試みとテーマ
- 第一部を振り返って
- 第二部開始、序盤のシーンだけアガる
- オズとグリンダの欺瞞
- Z世代の象徴ネッサローズ
- 中盤での交渉決裂と卑劣な罠
- とうとうブチ切れるエルファバ
- 「風の谷のナウシカ」との、物語構造の相似
- この世界はいいところで、生きるに値する
- 海外の評価、批評家とオーディエンスはどう見たか
本作の試みとテーマ
私は未読ですが、元の原作自体は1995年に刊行されたグレゴリー・マグワイアの『ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語』で、それがミュージカルとして2003年から初舞台が上演されているから、ストーリーに関しては意外な展開はないのでしょう。それを実写映画にしようという試みが本作の特徴。
概要としては、「オズの魔法使い」の裏面史、もしくは真相と「フィクション」とはどういうものか、そしてそれを守るとはどういう意味があるのかがテーマだと思います。
第一部を振り返って
まず、第一部でエルファバとグリンダ両者のプロフィールが語られ、そこからフィエロ(ジョナサン・ベイリー)との関係性、虐げられる少数者、そしてオズという国及び「オズの魔法使い」が持つ欺瞞が発覚し、エルファバがそれにあくまでも立ち向かって行くという、非常に痺れる終わり方をしました。
第二部開始、序盤のシーンだけアガる
で、この第二部でも冒頭に動物たち(虐げられる人々の象徴)が奴隷としてこき使われているところに、「西の悪い魔女(ウィキッド)」であるエルファバが登場。もうこのシーンで私は鳥肌が立ちました。
オズとグリンダの欺瞞
翻ってオズのシーンなんだけど、マダム・モリブル(ミシェル・ヨー)が、グリンダ(アリアナ・グランデ)に「道具を使った魔法に見えるガジェット」を授ける。本当は魔法が使えない「西の善き魔女」グリンダに、さも魔法が使える演出が必要だから。
この、「魔法モドキ」が、巨大なシャボン玉というのが効いていて、彼女の存在が泡沫の様に危うい存在であることを示している。
グリンダは思い人であるフィエロと結婚しようとするんだけど、フィエロは気乗りしていない。このオズという国の欺瞞を知ってしまい、そのことに彼には嫌悪感がある。
第一部だけ見て、私はフィエロを完全に誤解していました。ただのチャラいイケメンのジョックスだと思っていましたが彼、いい奴なのね。
Z世代の象徴ネッサローズ
エルファバの妹ネッサローズ・スロップ(マリッサ・ボーディ)だけど、彼女は現実のアメリカ社会における「Z世代」を明らかに象徴していると思う。ジョナサン・ハイトの「傷付きやすいアメリカの大学生」によれば、甘やかされてしまったが故に、傷つくことができなくなり、人間として劣化している世代。
彼女はボック・ウッドスマン(イーサン・スレイター)というマンチキン(この世界での少数民族)に想いを寄せるあまり、彼に振られるのを良しとせずに、極めて私的な理由で法律を改変してボックを拘束する。
そこでエルファバが登場してひと悶着の末、ボックは「オズの魔法使い」本編の「心の無いブリキ」になってしまい、エルファバを憎む。完全に誤解なんだけどね。
中盤での交渉決裂と卑劣な罠
中盤にさしかかり、エルファバと彼女の実父(エルファバはそのことを最後まで知らない)であるオズの魔法使い(ジェフ・ゴールドブラム)が、和解の為の話合いをするも、オズの魔法使いがあまりにもどうしようもないクズの為に裏切り、交渉は決裂。
ここでエルファバが真相を大衆に知らせるように言うけど、オズの魔法使いは「そんなことをしても無駄だ、みんな自分の見たいものしか見ない」と一蹴するのは、モロにエコーチェンバーとフィルターバブル、そしてポストトゥルースという現実世界の問題を表している。
追われる身のエルファバに、フィエロが愛を告白して結ばれるみたいな展開になるけど、ここらへんちょっと話を端折り過ぎている感じがします。
オズ側はなんとかエルファバを亡きものにしたいので、とても卑劣な罠を仕掛ける。この物語を見ていて、私は愚か者と卑怯者がつくづく嫌いなんだと再認識しましたね。
なんとネッサローズを嵐に見せかけて殺し(!)、その死亡を聞きつけ悼む為にやってきたエルファバを捕えようと待ち構える。ここで2つ行き違いがあり、罠を仕掛けたのがグリンダであるという誤解と、グリンダがエルファバにフィエロを「NTR(略奪愛)」されたという誤解があって、エルファバとグリンダがちょっと「キャットファイト」みたいになるが、フィエロが身代わりになりエルファバはこの状況を脱出する。
とうとうブチ切れるエルファバ
で、今まで倫理的にふるまおうとつとめていたエルファバがここでとうとう堪忍袋の緒が切れる。裏返ってしまい、本当に「西の悪い魔女」になる。そりゃ、妹を殺され(マダム・モリブルの魔法)、親友に裏切られ、恋人もおそらく殺されてしまったとなれば私もそうすると思う。
ここらへんで、本編である「オズの魔法使い」と時系列がかぶり、本編の主人公ドロシーをエルファバは捕え、グリンダがそれをやめさせるよう説得。ここですべてをあきらめたエルファバがグリンダに魔法の書を手渡し、友情を再度築き約束を交わすのが、副題である「For Good」な訳だ。
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「風の谷のナウシカ」との、物語構造の相似
そしてエルファバはドロシーに水をかけられ溶けて死亡(したように見せかけて実は生きているんだけどね)。「西の悪い魔女」は倒されオズの平和は保たれましためでたしめでたしみたいになり、第一部冒頭のシーンに戻る訳なんだけど、その、「悪が倒され、善なる者が勝利をおさめた」というのが「嘘(フィクション)」であるのを、観客だけが目撃し「オズの魔法使い」本編がその「フィクション(物語)」であるという構図、これってまんま「風の谷のナウシカ」のアニメ版と原作版の関係と同じ。「風の谷のナウシカ」の最後で、ナウシカが人々に嘘を語るのも同じ。
要するに、「世界はたしかにそうなっている」というのを、あくまでも子供向けではあるが非言語的に物語に乗せて説明している。
エルファバがグリンダに魔法の書を渡すのって、グリンダに罰を与えた感じがする。それはその生涯を、嘘にまみれて行けという罰。彼女、今後魔法が使えることはないでしょうね。
この世界はいいところで、生きるに値する
そもそもこの物語で、ふたりはいったい何を守ろうとしているのか、それはおそらくあえて言語化すると、「公正世界仮説」というものだと思う。「この世界はいいところだ」という、ある種の認知バイアスで、もちろんそれは子供時代には必要で、それが嘘であるのは成長するにつれわかってくるんだけど、そうやって教わった経験(心の土台)は悪いものではなかったので、自分の子どもや次の世代にも「この世界はいいところで、生きるに値する」という「物語」を教え、それを教わった世代もまた…といった感じで世界は成り立っているから。
海外の評価、批評家とオーディエンスはどう見たか
ロッテントマト(海外の有名なレビューサイト)では、オーディエンススコア92%に対して批評家スコアが66%とかなり低かったりする。
まあ理由は分かる。展開があまりにも端折り過ぎというか、ダイジェスト感が否めないし、結局クライマックス的にアガるのは、第一部のラストシーンだし、ふたりの関係性への掘り下げが少ないのでこの映画単品では感情移入しずらいと思います。
そして何よりも、原作では死んだエルファバが実は生きていましたという、非常に甘ったるい展開が問題なんでしょう。観客を傷つけないようにという「配慮」にしか感じられない。
とはいえ、ビジュアルは圧倒的だし、主役ふたりの「歌力」もあり、十分に見せてはくれる作品ではありましたが、その物語内の「欺瞞」があまりにも今日的で、またしても「世界情勢鬱」が沸き起こってしまい、どんよりとした気分で劇場をあとにしました。
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