この著者には同意したり反発したりしながら結構その著作を読んで来ました。私の映画を見る際には著者の言う、「ギリシャ的結末か、セム族的結末か、物語は大きくこのふたつに分けられる」という発言が大きな影響を与えています。
序盤(第1講)で著者は「この講義(著作)では煉瓦積み上げ方式を使いません、各論点に戻って螺旋的に上書きを重ねる方式を使います」と宣言している様に、もうここから私的には難解です。
本の内容は、著者がいつもビデオニュースや別の動画等でしゃべっている部分と、テキストにしないととてもじゃないが分かりづらい学術的な部分で構成されている。そこに奥野克己さんという、著者とほぼ同い年の人類学者がその都度解説や補足、まとめをしてくれているので助かりますね。
私がポイントと思っているのは3か所あって、ひとつはリベラリズムが自爆した理由の解説。たしかに「正しさマウント」にモヤモヤしていた私には腑に落ちました。しかもリチャード・ローティという人が「アメリカ未完のプロジェクト」において既に指摘されていたというのがまた…
このリベラリズムへの痛烈な批判ですけど、日本のある有名な学者を3回も取り上げて馬鹿にすらしている。名前はここでは出しませんけど、たしかにその人のエリート意識故の「地に足のついて無さ」は問題だなと私も感じていたので納得。
2つ目は、身体性に戻れという箇所。これに関しては難しい言葉を使ってはいますが、非常にオーソドックスな文明批評ではないかなと。
そして、新反動主義者ピーター・ティールが掲げている「テックによる統治」の脆弱性に対する論理的な解説があるところ。ここもSFではベタな感じはしました。要するに「人が神の真似事なんかしても、所詮は人だよ」だと感じましたね。
最後に、Amazonのレビューでこの著作がかなりの長文で「著者の理詰めのアジテーションだ」と、いたらない箇所を指摘されていて、非常に健全だなと思いました。これがリチャード・ローティ言うところの「アイロニー」なのではないかと思い、つまりこの著作が出版されたのは成功だったのだと。
私からも何点か指摘がありまして、ちょっと誤字が多いのではないかと。それと、基本理詰めの著者が気に入らない考えに対して「厨二」だと切って捨てるところ。あと、「あとがき」で出て来る「実例」なんだけど、これは映画「アフター・ザ・ハント」という「フィクション」そのままを実例として挙げていて、あの映画は複数の実在の性的不祥事や大学でのハラスメント対応事例から着想を得たのであって厳密に言えば実例ではない。
ここは「複数の実在の性的不祥事や大学でのハラスメント対応事例から着想を得た映画『アフター・ザ・ハント』によれば」という使い方が正しいと言わざるを得ません。
なんか今回少々口早にしゃべっているのをそのままテキストに起こした様な箇所が散見されます。
著者の「コミュニタリアリズム(共同体主義)」ですが、現時点ではまだ刺さらないと思います。「そういう道もあるぞ」と、種を蒔いているのだとは感じますけど。でもこれって結局著者が援交ブームで警察に呼ばれた時に警察が吐き捨てた「今は女子高生たちが好き勝手やっているように見えるが、ひとたび焼け野原(有事やカタストロフ)になれば、彼女たちも規律に従い、みんなと一緒に協力して動くようになる」と言った内容を共同体に縮小してハイブロウにしているだけなのでは?と突っ込まざるを得ません。
