※この記事はネタバレありです!
監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:スザンヌ・ロタール、ウルリッヒ・ミューエ(「善き人のためのソナタ」)

- テーマは「フィクションの中で消費される暴力への痛烈な批判」
- ハリウッド映画的な文脈の破壊
- 第四の壁による観客への挑発
- 公開から30年経過したからこそ、余計に胸糞の悪さが際立つ「あのシーン」
- 最後まで続く「梯子外し」と閉じる円環
- 終わりに:ハネケ監督の持つ「委員長属性」
テーマは「フィクションの中で消費される暴力への痛烈な批判」
本作のテーマは一貫している。「フィクションの中で消費される暴力への痛烈な批判」です。
物語は、裕福な一家が別荘へと向かう、一見穏やかなバカンスから始まる。しかし、白い服を着た青年が「卵を4つ分けてほしい」と訪ねてきた瞬間から、不穏なカウントダウンは始まっている。落として割れた卵は、これから理不尽に破壊される家族の命の暗示。
ハリウッド映画的な文脈の破壊
ここからハネケ監督による「ハリウッド的な映画の文脈」の破壊が始まる。
まず、家族で一番頼りになる父親の足がゴルフクラブでへし折られ、危険を察知した愛犬が殺される。ハリウッド娯楽映画では、犬や子供は“守られる存在”として扱われがちだが、本作はそれを容赦なく破る。そして不意に、犯人の一人が画面のこちら側(観客)に向かってウインクを投げる。
第四の壁による観客への挑発
夜になり、生き残りをかけた絶望的な「ゲーム」が宣言され、タイトルが回収される。ここで観客は、監督が「第四の壁」を壊して挑発してきていることに気づく。
「あんたたち、なんでこんな胸糞悪い暴力映画を喜んで見続けているの? 見るのをやめればいいのに」と。
子供の殺害シーンを直接写さないのも、「まさか子供が惨殺される瞬間が見たいわけじゃないよね?」というハネケの意地悪な問いかけだ。観客が見るのをやめない限り、この暴力の共犯者であり続ける構造になっている。
公開から30年経過したからこそ、余計に胸糞の悪さが際立つ「あのシーン」
そして終盤、ついに映画のルールそのものがハッキングされる「あのシーン」が訪れる。
妻のアンナが隙を突き、男の一人を銃で射殺するのだ。
今回、YouTubeで視聴していて驚いた。アンナが引き金を引く瞬間、画面のシークバーに「リプレイ回数がもっとも多い」という文字が表示されたのだ。
映画の進行通り、観客はここでいったん「スカッと」する。しかし直後、もう一人の男が「リモコンはどこだ?」とテレビのリモコンを探し始め、現実の時間を巻き戻してしまう。アンナの反撃は「なかったこと」にされるのだ。
このメタフィクション演出の恐ろしさは、まさにYouTubeのデータが証明している。
「ほら、あんたたち、男が射殺されてスカッとしただろ? 暴力を暴力で解決するシーンを見て興奮したよね?」
ハネケが仕掛けた罠に、現代の私たちが「リプレイ機能」という形で、自ら欲望の証拠を刻まされてしまっている恐怖。映画公開から時を経て、ネット配信という環境がこの映画のメッセージを完成させてしまったのだ。
最後まで続く「梯子外し」と閉じる円環
終盤、物語の伏線になるはずだったナイフという「チェーホフの銃(物語に登場した小道具は、後に意味を持つべきだという創作の原則)は何の意味もなさず、アンナはあっけなく湖に沈められる。
そして犯人たちは、次の獲物の家へ行き「卵を分けてください」と微笑む。終わりのない悪意の円環がここで閉じる。
終わりに:ハネケ監督の持つ「委員長属性」
ハネケ監督はおそらく、生真面目すぎるほどの「委員長属性」の持ち主の人なのだろう。「エンタメとしてカッコよく消費される暴力なんて嘘っぱちだ」と正論を突きつけてくる。
ただ、ハリウッド映画に毒されている身としては、「正論すぎてぐうの音も出ないけれど、そこまで説教されましてもな……」と白旗を揚げたくなるのも事実。映画としては一級品だが、ハネケ監督にとって、私はあまり「いいお客さん」にはなれそうにない。
↓ランキングに参加しているので、クリックしてくれると嬉しいです!🥚
↓この記事がいいなと思ったら読者になって欲しいです!