タイトル:「こいつで、今夜もイート・イット ~アル・ヤンコビック物語~」
監督:エリック・アペル
脚本:エリック・アペル、アル・ヤンコビック
主演:ダニエル・ラドクリフ

(※以下、映画の核心に触れるネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください!)
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- マイケル・ジャクソンとの「奇妙な反転構造」
- 伝記映画というジャンルそのものへの痛快な意趣返し
- マドンナの扱いという名の「壮大な悪ふざけ」
- ダニエル・ラドクリフという役者の凄み
- 総評:パロディが本家を食う、極上のメタ構造
アメリカで“パロディソングの帝王”として長年愛され続けているアル・ヤンコビック。その半生を描く感動の伝記映画……と思いきや、本作はそんな観客の常識を開始数分で粉々に吹き飛ばしてしまいます。
なにしろ共同脚本を務めているのが、アル本人。まともな伝記映画になるはずがありません。上映開始からエンドロールに至るまで、銀幕に映るすべてが「純度100%の嘘」と「確信犯的な悪ふざけ」。
本作は、アル・ヤンコビックという人物の皮を被りながら、ハリウッドの「伝記映画」というジャンルそのものを徹底的に解体し、笑い飛ばす傑作メタ・コメディでした。
マイケル・ジャクソンとの「奇妙な反転構造」
本作を観ていて最もスリリングだったのは、物語の根底にマイケル・ジャクソンの人生を鮮やかに反転させたような構造が見えることです。
物語は、ブルーカラー労働者である父親が、アルに製鉄所の仕事を継がせようとアコーディオンを叩き壊すところから始まります。これは、幼い子供たちを過酷な芸能界へ容赦なく押し出したジョセフ・ジャクソン(マイケルの父)とは真逆のベクトルです。
マイケルは「ステージに立つこと」を強制されましたが、本作のアルは「ステージに立つこと」を徹底的に抑圧される。
さらに興味深いのは、後半で描かれる父親との和解です。現実のマイケルは父親との関係に生涯大きなわだかまりを抱え続けましたが、本作のアルは劇中で父親と対話し、理解し合うことで人生の欠落を埋めていきます。
もちろん、これは映画が仕掛けた大嘘(史実ではない)です。しかし、ポップス界の頂点に君臨した「マイケル神話」の光と影を明確に意識し、その美しい裏返し(救済)としてこの嘘が機能している点に、本作の批評的な奥深さを感じずにはいられません。
伝記映画というジャンルそのものへの痛快な意趣返し
本作の面白さは、単にデタラメを並べるだけでなく、世の中にあふれるミュージシャン伝記映画の「お約束」を熟知した上で、片っ端からハメ倒していく点にあります。
例えば、LSDで完全にラリったアルが「新しい自分に生まれ変わる」という比喩を飛び越え、本当に巨大な卵の殻を突き破ってドロドロの状態で登場するシーン。あるいは成功の象徴として登場した純金製のアル像が、これ以上ないくらい分かりやすく倒れて粉々になるシーン。
極めつけは終盤、なぜか麻薬王パブロ・エスコバルとの死闘が始まり、映画のジャンル自体が突然チープな80年代アクション映画へ変貌してしまう展開です。スクリーン全体が「いや、そうはならんやろ」という大爆笑の激流に呑まれているのに、映画側は冷徹なまでのポーカーフェイスを崩さない。このツッコミ不在の不条理さに、私は完全に腹筋を崩壊させられてしまいました。
マドンナの扱いという名の「壮大な悪ふざけ」
本作における最大の被害者であり、最高のスパイスとなっているのがマドンナの存在です。劇中の彼女は、ピュアなアルを利用して自らの売名を企む、絵に描いたような危険なファム・ファタール(運命の女)として登場します。
現実には二人が交際していた事実など一切ありません。しかし映画の中では、まるでアルを破滅へ導き、果てはカルテルを引き連れて血の惨劇を引き起こす元凶のように扱われます。「アルはマドンナに前世で何かされたのか?」と勘繰りたくなるほどの容赦のなさは、実在の超大物ポップスターを使った、ハリウッド史上最も贅沢な嫌がらせ(褒め言葉)と言えるでしょう。
ダニエル・ラドクリフという役者の凄み
そして、このあまりにも全方位に不謹慎な大嘘を成立させている最大の功労者が、主演のダニエル・ラドクリフです。彼はアル本人に外見を似せようとするのではなく、「アル・ヤンコビック伝説」という名の巨大なジョークそのものを命懸けで演じています。
酒に溺れ、ドラッグに手を出し、傲慢な裸の王様へと変貌していく姿は、ロックスター映画のパブリックイメージそのもの。しかし実際のアルは、業界でも有名な聖人君子であり、お酒もタバコもやらない超真面目な人物です。観客がこのギャップを知っていればいるほど、ラドクリフの熱演はコメディとしての駆動力を増していきます。
かつて世界一有名な魔法使いだった少年が、トレードマークの眼鏡をアコーディオンに持ち替え、狂気とエゴにまみれた「偽りのロックスター」を怪演する。その額に浮かぶ汗と血走った眼差しからは、ハリー・ポッターの呪縛を完全に脱ぎ捨て、このバカバカしい大作に役者生命を賭けて挑んだ彼の恐るべきプロ根性が伝わってきます。
総評:パロディが本家を食う、極上のメタ構造
本作の真の恐ろしさは、「替え歌」という既存のコンテンツのパロディで天下を取った男が、今度は「伝記映画」という映画の伝統的ジャンルそのものを乗っ取り、パロディとして消費してしまった二重構造にあります。
劇中では「『イート・イット』こそがオリジナルであり、マイケル・ジャクソンが『Beat It』で俺をパクった」というとんでもない主張が堂々と展開されます。現実と虚構をわざとひっくり返し、大真面目に言い張る。それこそが、アル・ヤンコビックという稀代の芸人が持つパンク精神の本質なのです。
奇しくも現在、劇場ではマイケル・ジャクソンの正統派な伝記映画『マイケル』が公開されています。もしこれからそちらを観る方、あるいはすでに観た方は、ぜひ本作もあわせて鑑賞してみてください。
伝記映画というジャンルの「お約束」がどれほど多く、そしてアル・ヤンコビックという男がそれをどれほど鋭く、そして愛を込めてくだらなく笑い飛ばしているかが、点と線で繋がるはずです。映画ギークであればあるほど狂喜乱舞できる、極めて知的で、極めて最低(最高)な一本でした。
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