ちりあくたのつぶやき

当ブログでは、コンテンツの構成や推敲にAI(人工知能)を使用している場合があります。

【ネタバレ】映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』感想|人類救済より尊い「対幻想」と最高峰のバディ論

 ※この記事はネタバレありです!

 

2026年公開

監督:フィル・ロード&クリストファー・ミラー

脚本:ドリュー・ゴダード

主演:ライアン・ゴズリング

youtu.be

 劇場公開から大きな話題を呼んでいる本作。現在はAmazonプライムビデオでも配信されているので、これを機に会員になるとお得に視聴できます!

amzn.to

 原作は「オデッセイ」でも知られるアンディ・ウィアーの同名ベストセラー小説ですが、私は未読の状態で鑑賞しました。結論から言うと、原作未読でも120%楽しめる親切かつ完璧なエンタメ映画に仕上がっています。

ハリウッドらしい完璧な30分の導入と「召命」のキリスト教モチーフ

 まず冒頭、記憶喪失の状態で目覚める主人公・グレース(ライアン・ゴズリング。ちなみに今作では制作にも名を連ねています)のルックが、モロに「イエス・キリスト」であることに目を奪われます。彼がこの物語における“救世主”となることが、視覚的に最初から示されているわけです。

 

 彼の一時的な記憶喪失という設定は、この見知らぬ物語世界に放り込まれた観客の視点と見事にシンクロします。グレースの記憶の回復とともに、地球が直面している危機といきさつが回想(過去シーン)としてパズルのピースのように明かされていく構成です。

 

 ここで、キリスト教における「召命(calling)」という概念が浮かび上がります。神から使命を与えられることを指す言葉ですが、作中で彼を召命(拉致)する役割を担うのが、ザンドラ・ヒュラー演じるエヴァ・ストラットです。 今回、私は日本語吹き替え版で視聴したのですが、エヴァの声を演じているのが『新世紀エヴァンゲリオン』で使徒に立ち向かう国連直属機関の指令役(葛城ミサト)を務めた三石琴乃さんなのは、絶対に狙った配役でしょう。

 

 太陽系消滅の危機に対し、人類が一丸となって進める秘密計画、その名も「プロジェクト・ヘイル・メアリー(直訳すれば“聖母マリアへの祈り”、転じて“神頼み”の意)」。ここに主人公が巻き込まれるまでの流れをきっちり30分で描き切る、ハリウッド映画らしい無駄のない鮮やかな導入です。

NASA全面協力によるリアルな宇宙空間と、バディの法則

 グレースが乗り込む宇宙船は、燃料が片道分しかない文字通りの特攻船。本来はパイロット、エンジニア、そして科学者であるグレースの3人体制のはずでしたが、冒頭で描かれた通り、他の2人は昏睡状態から目覚めることなく死亡してしまいます。宇宙にたった一人取り残され、極限状態に追い詰められるグレース。この絶望感が物語の推進力をさらに加速させます。

 

 目的地である惑星系に到着したグレースは、そこで「何か」と遭遇し、接触を試みます。劇中ではNASAのロゴがかなり意識的に画面に映し出されますが、本作は天体物理学や宇宙生物学の専門家が監修に入り、NASAが全面協力しているそうです。現役の宇宙飛行士がライアン・ゴズリングに直接指導を行ったというだけあって、科学的なリアリティと説得力が凄まじいです。

 

 現在と過去のシーンを激しく交錯させる演出は、観客を退屈させないための起伏として機能しつつ、グレースの心理を紐解く重要な鍵となっていきます。

 

 そして、ついに異星人(タウセチ人)である「ロッキー」が登場します。 最初、お互いがお互いにとってのエイリアンである二人は、言葉ではなくジェスチャーや身体性を使ってコミュニケーションを模索します。グレースが相手の宇宙船の気圧や環境に合わせるシーンでは、まるでダンス音楽に乗せてフュージョン(融合)していくかのような映画的快感があります。

 

 ロッキーとの対面シーンは非常にコミカルです。「岩(石)みたいだからロッキー」という名付けは一見安直ですが、ここにはシルベスター・スタローン、そしてのちにマイケル・B・ジョーダンが引き継いだボクシング映画「ロッキー」の泥臭いファイティングスピリットも重ね合わされているのでしょう。

 

 グレースが、気体成分を分析した上でロッキーの「ここには空気がある(防護服を脱いでも大丈夫)」という言葉を信じ、ヘルメットを脱ぐシーンがありますが、この時点ですでに関係性の尊さが限界突破しています。文字通り、出会ったばかりの異星人に命を預けたわけですから。

 

 物語における「バディ(相棒)物の法則」として、「最初から仲が良いバディは最後に決別(あるいは殺し合い)へと発展し、逆に最初は言葉も通じない関係は物語の進行とともに強固な関係性を構築していく」というものがありますが、本作はまさに後者の最高峰です。数学という共通言語を駆使してコミュニケーション方法を統一し、ロッキーの故郷の太陽もまた死にかけていることを知った二人は、種族を超えて共闘することになります。

 

 実はロッキーにはかつて23人の仲間がいたものの、今は彼一人になってしまっていました。自分と同じ「孤独な生存者」であるという境遇の重なりが、二人の絆をさらに深いものにしていきます。というか、本作の上映時間の大半は、このグレースとロッキーの関係性を育むことに費やされています。

「誰のために死ぬか?」という残酷なテーマと、狂犬病予防接種

 物語が中盤に差し掛かる頃、過去の回想で宇宙飛行士のヤオ・リー(ケン・レオン)がグレースに「勇気を出して救いたい相手がいるかどうかだ」と言い放ちます。そこから現在の宇宙船のシーンに引き戻された時、画面に映し出されるのはホワイトボードに書かれた「誰の為に死ぬ?」という文字。実はこれこそが、本作の裏に流れる真のテーマです。

 

 ここまでグレースの「過去のいきさつ」は語られてきましたが、彼のプライベートな人生や人間関係については一切言及されていませんでした。後半に判明するのですが、実はグレースには家族も、恋人も、飼っている犬すらもいない、天涯孤独な魂だったのです。

 

 謎の宇宙微生物「アストロファージ」は地球を滅ぼす災害の元凶でありながら、宇宙船を動かす燃料でもあるという二面性を持っています。作中では「周回軌道に乗る」「相手のピッチ(周波数)に合わせる」という行為が、他者と寄り添うことの象徴として何度も反復されます。 映画『ロッキー』、特に『3』や『5』の話題を引き合いに出しながら、ロッキーはグレースを助けることを強調します。このロッキー、中々の口うるささで、結構なウザキャラ(褒めてます)なのがまた愛おしいです。

 

 そんな中、中盤でエヴァがハリー・スタイルズの楽曲「Sign of the Times」を歌ってグレースを慰める(ように見える)シーンがあります。しかし、この歌は切ないメロディとは裏腹に、この後の展開とグレースの運命を恐ろしいほど正確に暗示する最大の伏線となっています。

 ちなみにこのシーン、元々の脚本には存在しなかったそうです。空母のシーンの撮影中、主演のライアン・ゴズリングがザンドラ・ヒュラーの鼻歌を偶然耳にし、「もの凄くいい声だから映画の中で歌ってよ!カラオケのシーンを作ろう」とその場で提案し、急遽追加されたという極上の制作秘話があります。

 

 その後、物語は未知の物質を採取するミッションへと進みますが、ここでグレースが絶体絶命の危機に陥ります。その時、ロッキーは文字通り自らの「殻(船壁)」を破って大怪我を負いながらグレースを救い出します。ここでテーマである「誰のために死ぬか?」が強烈に浮き彫りになります。見返りを求めない利他行動、すなわち「贈与」の誕生です。

 

 ここでまた回想に戻り、驚愕の事実が明かされます。グレースがなぜこのミッションに選ばれたのか。それは彼が偉大な英雄だからではなく、「人類にとって極めて都合のいい(死んでも誰も悲しまない)存在」だったから。グレースは宇宙船への搭乗を激しく拒否しますが、最終的には捕えられて眠らされ、強制的に乗船させられます。彼に起きた事態は、本人が望むと望まざるとに関わらず、否応なく全人類の命を背負わされるという、まさに残酷な意味での「召命(calling)」だったわけです。

 

 序盤で彼が学校の子供たちに理科の授業をしていたシーンは、彼が「未来ある子供たちのために科学を教えていた」という伏線であり、彼の根底にある教育者としての本質を示しています。

 

 余談ですが、エヴァが激しく抵抗するグレースを眠らせてむりくり宇宙船の生命維持カプセルに放り込む一連のくだり、シリアスなシーンのはずなのに、どうしてもインターネットで有名な「とやまソフトセンター」の狂犬病予防接種(網で捕獲される犬)の動画を思い出してしまい、見ていて一人笑いを堪えるのに必死でした。

youtu.be

人類救済はサブプロット。最小単位の「対幻想」が導く結末

 終盤、今度はロッキー側の宇宙船に深刻な危機が発生します。地球を救うためのサンプルを手に入れ、あとは地球に帰るだけだったグレース。しかし、彼は「地球に戻れば自分は生き残れるが、ロッキーを見捨てればエリド星は滅びる」という選択を迫られます。

 

 グレースが選んだのは、地球への帰還を捨て、相棒を助けるために進路を反転させることでした。命がけの「相互贈与」の完成です。

 

 この時、グレースは地球へ事態を解決するためのデータを積んだ4機のプローブ(探査機)を射出します。そのエンジニアが「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ」と名付けた探査機たちが稼働する決定的な瞬間に、ザ・ビートルズのアルバム「Let It Be」から「Two of Us」が流れ出します。原作の小ネタを見事に回収しつつ、「家に帰る途中だけど、まだ着きやしない」「君と僕の二人旅」と歌うこの選曲は、映画史に残るほど胸熱な演出です。

 物語のラスト、地球ではエヴァがグレースから送られてきた映像記録を視聴し、地球と他の惑星の救済が完全に成功したことが示されます。 そしてグレース自身はどうなったのか。彼はなんと、ロッキーの故郷であるタウセチに残り、異星人の子供たちに向けて笑顔で授業を行っているのです。冒頭の「学校の先生」としての姿に回帰し、物語の円環が美しく閉じて映画は幕を下ろします。

 

 ここで非常に今日的なリアリティを感じるのは、グレースの「所属対象(地球)」と「帰属対象(ロッキー)」が完全に切り離されている点です。 現在の冷え切った世界情勢を見ても、ぶっちゃけ「人類が一丸となって危機に立ち向かう」という大文字の共同幻想にはあまりリアリティが持てません。それよりも、宇宙の果てで泥臭くルールを共有し、文字通り命を投げ出し合って関係性を構築した「ロッキーの元に残る」という選択のほうが、現代の私たちにはよほどリアルで、強固で、腑に落ちるのです。

 

 吉本隆明の共同幻想論における「対幻想(個と個の間に結ばれる関係性の幻想)」という概念があります。ざっくり言えば「君のためなら死ねる、ルールも世界も捨てられる」という関係性です。

 本作は一見、全人類の命を救う壮大なディープスペースSFの形を取っていますが、その本質(メインプロット)は「人類救済」などという大それたものではなく、孤独な男が宇宙の果てで唯一無二のバディと出会い、強固な「対幻想」を築き上げるまでの、極めてパーソナルな物語だったのです。

 

 エンドロールで流れるのは、アイク&ティナ・ターナーの「Glory, Glory」。

 歌詞にある「Glory(栄光)」は、地球を救ったミッションの成功への賛美であると同時に、自らの命を顧みず、異星の友を救う道を選んだグレースの「自己犠牲」、そして彼が異郷の地でようやく掴み取った「本物の幸福」を祝福する最高の賛歌として、いつまでも耳に残ります。

 

 骨太な科学SFに、完璧な音楽のプレイリストという血肉を通わせた、映画史に残る大傑作です。未読の方も、ぜひこの美しいバディの行き着く先を目撃してください。

 

↓この記事がいいなと思ったら読者になって欲しいです!