ちりあくたのつぶやき

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【ネタバレあり】映画『叛逆のサウンドトラック』雑感――歴史とジャズが鳴らす「忘れない」という宣言

 ※この記事は映画『叛逆のサウンドトラック』のネタバレを含みます。

 

2024年製作/156分/ベルギー・フランス・オランダ合作
監督:ヨハン・グリモンプレ

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第二次世界大戦後の「理想」と、その裏側

 第二次世界大戦後、「二度と悲劇を起こさぬため、世界がひとつになる」という高邁な理想のもと結成された国際連合。

 

 しかし、その直後、世界は東西冷戦へと突入する。

 

 本作の舞台はアフリカ。

 

 長年、西欧列強やアメリカによって資源や「人的資源(奴隷)」として搾取され、黒人差別が横行していた時代だ。

 

 そんな中、1960年にコンゴが独立を果たす。

 

 本作は、コンゴの初代首相パトリス・ルムンバが暗殺されるまでの道のりを、膨大な記録映像とジャズを融合させて描いた怪物的なドキュメンタリーだ。

 

 調査に4〜5年、編集に4年かかったという。

 

 実際に観てみると、その膨大な制作期間にも納得させられる。

 

 映像と音楽の一体感は、まるで映画全体がひとつの壮大な「ジャズ・セッション」のようにグルーヴしている。

 

 ルイ・アームストロングやマックス・ローチ、アビー・リンカーン、ニーナ・シモンらの演奏が、単なるBGMではない。

 

 音楽そのものが、物語を推進する力になっている。

露呈する国連の無力さと、西側の「欺瞞」

 本作で浮き彫りになるのは、国連の構造的な無力さだ。

 

 国連は「世界の平和」を掲げて創設された。

 

 しかし、常任理事国は第二次世界大戦の戦勝国が中心であり、当時のアフリカ諸国は、いまだ西欧諸国の支配下に置かれていた。

 

 そのため、コンゴの独立をめぐる問題でも、国連は必ずしも「弱者の味方」とはならない。

 

 劇中には、ソ連のフルシチョフ書記長がアメリカの欺瞞を熱弁する場面がある。

 

 彼の振る舞いを「道化」と自覚しつつも、映画は西側で語られがちな「悪のソ連」というステレオタイプを超え、より人間的な側面を浮かび上がらせている。

 

 そして、コンゴの旧宗主国ベルギー。

 

 その背後には、巨大企業「ユニオン・ミニエール」が君臨している。

 

 ここで改めて突きつけられるのが、コンゴと日本とのつながりだ。

 

 コンゴで採取されたウランが、広島・長崎の原子爆弾に使われた。

 

 遠いアフリカの歴史に見えていたものが、日本の歴史とも地続きだったことに気づかされる。

 

コンゴ動乱は、まさに世界の欺瞞と搾取の縮図として描かれている。

独学のリーダー、パトリス・ルムンバ

 ベルギーの植民地政策は、徹底した無知化方針だった。

 

 その象徴的な言葉として劇中に登場するのが、

「No elites, no troubles」

つまり、「エリートを作らなければ、問題も起こらない」という考え方だ。

 

 まともな高等教育の場すら与えられない環境の中で、独学によって高度な知識を身につけ、植民地当局から「エヴォリュエ(進化した者)」と認められたのがルムンバだった。

 

 だからこそ、権力側にとって彼は邪魔な存在だった。

 

 アメリカ、ベルギー、そしてユニオン・ミニエール。

 

 彼らにとって、ルムンバの存在は単にコンゴ国内の政治問題にとどまらない。

 

 劇中では、

「アフリカは銃の形をしており、コンゴはそのトリガー(引き金)だ」

と表現される。

 

 コンゴの独立がアフリカ全体の覚醒を促し、さらに国連におけるアフリカ諸国の発言力を増す。

 

 それを西側諸国は恐れたのだ。

黒人音楽もまた「利用」されていた

 そして本作でもうひとつ痛烈なのが、黒人音楽そのものが政治的に利用されていた構図だ。

 

 有名ジャズミュージシャンたちが政治、そしてプロパガンダの道具として利用されていく。

 

 ここが非常に興味深い。

 

 本作では、コンゴの政治的・経済的な搾取だけではなく、文化の領域にまで視線が向けられている。

 

 近現代史において、黒人の精神や才能が、いかに都合よく利用され、奪われてきたのか。

 

 その事実が、アーカイブ映像とジャズの交錯によって強烈に印象づけられる。

 

 だからこそ、この映画においてジャズは単なる「音楽」ではない。

 

 歴史そのものを語る声になっている。

現実はモンド映画よりも残酷だった

 時折挿入されるのが、ヤコペッティの『残酷大陸』の映像だ。

 

 『残酷大陸』は、いわゆる「モンド映画」として語られる作品だが、本作を通して見ると、むしろ現実そのものが、それ以上に残酷でグロテスクだったことを改めて感じさせられる。

 

 特に印象に残ったのが、激しいドラムのビートに合わせて、歴史的な決定的瞬間が次々と切り替わっていくシークエンスだ。

 

 映像と音が完全に一体化し、観客をその場に引きずり込むような迫力がある。

 

 ここまでくると、これは単なるドキュメンタリー映画というより、歴史そのものを音楽として再構成した作品なのだと思う。

「私たちは忘れていない」

 原題は、

『Soundtrack to a Coup d'Etat(国家クーデターのサウンドトラック)』

である。

 

 このタイトルが示す通り、本作は単なる歴史の記録にとどまらない。

 

 虐げられてきた人々への鎮魂であり、

 

 今なお続く構造的搾取への警告であり、

 

 そして何より、

「私たちは、あなたたちがやったことを決して忘れていない」

という力強い宣言なのだ。

 

 156分という長尺ながら、映像と音楽が渾然一体となった独特のリズムによって、最後まで引き込まれる。

 

 歴史ドキュメンタリーでありながら、ジャズ映画のようでもあり、政治映画のようでもある。

 

 そして何より、「歴史を誰の視点から語るのか」を突きつけてくる作品だった。

 

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