ちりあくたのつぶやき

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映画『ロングウォーク』感想・ネタバレ|傑作寸前だったのに…原作のテーマを変えたラスト改変を語る

 ※この記事はネタバレありです!

 

2025年アメリカ公開、2026年日本公開

監督:フランシス・ローレンス

脚本:J・T・モルナー

主演:クーパー・ホフマン、デヴィッド・ジョンソン、マーク・ハミル

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 原作は「リチャード・バックマン時代」のスティーヴン・キングの小説。今回映画を視聴するにあたり、原作小説を購読しているので、原作がそもそもどういった経緯で描かれ、スティーヴン・キングがどういう意味を込めていたのかを最初に記載します。

 

「ベトナム戦争の影」キングの実質的な処女作


 今作はキングが大学1年生の時に書かれている、実質的な彼の処女作。ちょうどその頃アメリカではベトナム戦争があり、ロングウォークに参加するというのは徴兵されることの象徴。

 

 少年たちが途中で脱落していくのは戦死したということ。「少佐(マーク・ハミル)」は、名前がないことから分かるように当時のアメリカ社会のシステムで、沿道で歓声をあげ、少年たちの髪の毛や記念品を欲しがる「一般の観客たち」の不気味さもこの作品の大きな特徴。

 

 これは「若者が戦地で死んでいくのを、テレビの前でポップコーンを食べながら消費していたアメリカ市民」を表している。

 

 そう、完全にベトナム戦争とそれを継続している当時のアメリカ政府への批判として描かれているんですよ。

 

 ベトナムという戦地へ赴き、戦争を体験することで彼らは人間性と青春時代を喪失させられる。最初は純粋に死の恐怖だけだったけど、心が壊れていく恐怖も描かれる。

 

 そこに心身が壊れていく中で、少年たちが交わすユーモア、下ネタ、告白。言葉だけが彼らの人間性を繋ぎ止める命綱になる。

 

 最後はアンハッピーエンドで終わるのも、現実に対する怒りがあるから。

 

映画版の明暗:アート映画のような美しさと、致命的な「牙の抜かれ方」

 では、待ちに待った映画版はどうか。 結論から言えば、物語の終盤まではかなり見応えのある、まるでインディーズのアート映画のような静謐な緊張感が漂っていた。

 

 冒頭、ロングウォークへの参加を祝う不気味なメッセージから始まる演出は、太平洋戦争時の日本における「赤紙(召集令状)」を笑顔で手渡されるかのような狂気を感じさせる。

 

 ギャラティ(クーパー・ホフマン)が母親と引き離され、IDを剥奪される(=名前という尊厳を奪われる)シークエンスも原作準拠で実に見事だ。 参加メンバーがタグを渡される箇所はモロに「ドッグタグ(認識票)」初めの脱落者が射殺され、観客が「これは本物の殺戮ゲームだ」と気づいた瞬間にタイトルが浮かび上がる演出には、思わず鳥肌が立った。

 

 また、映画独自の改変として、ギャラティの父親が全体主義に抗った末に「少佐」に射殺されたという過去が追加されている。

 

 これにより、彼のゲームにかける動機がより強固になり、ドラマとしての厚みが増した。ゲイリー・バーコヴィッチ(チャーリー・プラマー)が己の失言を悔い、極限状態で人間性の片鱗を見せて自害するアレンジも、「人は追い詰められた時にどう生きるか」というテーマに寄り添っており、好感が持てた。

 

――だからこそ、最後の最後で敢行された「ひどすぎる原作改変」に、私は激しい怒りを禁じ得ない。

 

「システム」を「ただの悪役」に格下げした監督の悪癖

 結末の具体的な描写は劇場で確かめてほしいが、一言で言えば、映画は「少佐」の扱いを致命的に誤ってしまった。 原作における少佐は、名もなきアメリカの国家権力であり、ポール・ニューマン主演の映画『暴力脱獄』の刑務所長のような「逆らえないシステムそのもの」として描かれている。

暴力脱獄 (字幕版)

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  • ポール・ニューマン
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 エンタメとして劇的な決着をつけたい意図は理解できるが、それはサングラスが壊れるといった象徴的な描写に留めるべきだった。映画版は、システムだったはずの少佐を、あまりにも俗っぽい「一人の悪役」として処理してしまったのだ。これでは、キングが原作に込めた全体主義や戦争への怒りが、単なる「個人の復讐劇」に矮小化されてしまう。

 

 振り返れば、フランシス・ローレンス監督には前科がある。彼は映画『アイ・アム・レジェンド』でも、リチャード・マシスンの原作が持つ不朽のラスト(『地球最後の男』の意味)を、ハリウッド的なハッピーエンドに改悪した過去がある。あの時の嫌な予感が、最悪の形で的中してしまったと言わざるを得ない。

地球最後の男(字幕版)

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 さらに皮肉なのは、少佐を演じたマーク・ハミルだ。彼は今年公開のキング原作映画『サンキュー、チャック』でも権威的な役を演じているが、かつて『スター・ウォーズ』で巨大な帝国(システム)を打ち破ったレジスタンスの英雄が、今や少年たちを蹂躙するシステムそのものを怪演している姿には、複雑なため息しか出ない。

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 2026年はまだ半分を残しているが、原作の精神を冒涜するようなこの安易なラストの改変により、本作は現時点で私の中の「今年度ワースト映画」に決定してしまった。非常に惜しい、そしてあまりにも罪深い一本だ。

 

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ドラマ『九条の大罪』1話感想・解説|原作との違いは?烏丸(松村北斗)の役割と「ぬるい」改変の賛否(※この記事はネタバレありです!)

 ※この記事はネタバレありです!

 

 真鍋昌平原作漫画を、Netflixがまさかのドラマ化。主演柳楽優弥。

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原作と比較した、烏丸の役割の変化

 この記事では第1話「片足の値段」を原作と比較して解説します。

 

 まず、九条の元で働く「イソベン(居候の弁護士)」烏丸真司(松村北斗)だけど、原作では既に九条の事務所で働いているのですが、ドラマ版では九条に会うという形になっている。

 

 つまりここは烏丸は視聴者であり、彼の眼を通して作品世界に入っていくという訳。法律の解説役も烏丸が務めているのはわかりやすい。

レギュラーメンバーとこの事件の加害者の登場

 で、事件が起きて反グレのリーダー壬生憲剛(町田啓太)が九条に依頼して来る箇所は同じなんだけど、原作では加害者が人を轢いてしまった恐怖で打ち震えているのに対して、「あー、やっちゃったー、どうししょうかなー。あ、そうだ!壬生君にお願いしよう」くらいの、本当にどうしようもないキャラクター造形になっているのはいい(ヒドイけど)

九条の本領発揮

 そしてここからが九条の本領発揮のシーンで、彼は「とにかく20日間完黙するように」と告げ、「依頼人の人権を守るために」全力を尽くして彼を執行猶予つきの禁固刑、つまり実質的な無罪を勝ち取る。

視聴者に対する告知と「教育」

 この第1話でこれからはっきりと、どういう話をしていくのかを明確に示している。寓意は「法律なんて所詮人の作り上げたもので、いくらでも抜け道があり、不条理や理不尽は決して無くなりはしない」というもの。

 

 それを、こちらに疑似体験させ痛みを与え、現実に対する認識を変容させるという「教育」を読者は受ける訳だ。

有罪か無罪のグレーゾーン、「陪審員2番」

 たしかに、飲酒運転による危険運転致死なんだけど、事件現場を調べると二人の被害者(父と息子)のうち、父親の方は実は心臓に疾患があった為に心臓発作で倒れ、その後で車が可能性がある。ここの「心臓疾患のグレーゾーンが被害者の死亡原因になる可能性を巡る法廷議論」というグレーゾーンに関しては、クリント・イーストウッド監督の傑作「陪審員2番」でも似たような言及がされている。

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原作の改悪(だと私は思っているぬるい描写)

 原作と違って、はっきり言ってぬるい改変箇所が後半にあり、轢き逃げで生き残った息子(片足を切断されている!)と母親に対して、NPO法人のソーシャルワーカー薬師前仁美(池田エライザ)が九条から母子に保険の再申請をするように取り計らう箇所。

 

 この救済描写は、原作が持っていた“観る側を突き放す冷酷さ”を弱めてしまっているため、テーマの鋭さを損ねているように感じる。もっと見る物を突き放していいと思いましたね。母親は原作では涙を流すシーンは見せず、憔悴と怒り・悔しさ・無念と悲しみが混じった様ななんとも形容しがたい表情で終わった方がよかった。

 

 おそらくは原作の突き放す冷酷さを弱め、視聴者への感情的救済を優先した判断なのでしょうけど、せっかく地上波ではなくNetflixで配信するのだから、こちらの背筋を凍らせたままでよかったかなと。

柳楽優弥の完璧な演技

 九条役の柳楽優弥は完璧に仕事をこなしていました。彼が画面のこちらに向かって冷笑や挑発的な言動とかしたらどうしようかと思っていましたが、そんなことはなく淡々と九条を演じ切り、九条というキャラクターを完全に理解しているのがわかる。

 

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著:宮台真司「宮台式人類学 ー前提を遡る思考」感想

 この著者には同意したり反発したりしながら結構その著作を読んで来ました。私の映画を見る際には著者の言う、「ギリシャ的結末か、セム族的結末か、物語は大きくこのふたつに分けられる」という発言が大きな影響を与えています。

 序盤(第1講)で著者は「この講義(著作)では煉瓦積み上げ方式を使いません、各論点に戻って螺旋的に上書きを重ねる方式を使います」と宣言している様に、もうここから私的には難解です。

 

 本の内容は、著者がいつもビデオニュースや別の動画等でしゃべっている部分と、テキストにしないととてもじゃないが分かりづらい学術的な部分で構成されている。そこに奥野克己さんという、著者とほぼ同い年の人類学者がその都度解説や補足、まとめをしてくれているので助かりますね。

 

 私がポイントと思っているのは3か所あって、ひとつはリベラリズムが自爆した理由の解説。たしかに「正しさマウント」にモヤモヤしていた私には腑に落ちました。しかもリチャード・ローティという人が「アメリカ未完のプロジェクト」において既に指摘されていたというのがまた…

 

 このリベラリズムへの痛烈な批判ですけど、日本のある有名な学者を3回も取り上げて馬鹿にすらしている。名前はここでは出しませんけど、たしかにその人のエリート意識故の「地に足のついて無さ」は問題だなと私も感じていたので納得。

 

 2つ目は、身体性に戻れという箇所。これに関しては難しい言葉を使ってはいますが、非常にオーソドックスな文明批評ではないかなと。

 

 そして、新反動主義者ピーター・ティールが掲げている「テックによる統治」の脆弱性に対する論理的な解説があるところ。ここもSFではベタな感じはしました。要するに「人が神の真似事なんかしても、所詮は人だよ」だと感じましたね。

 

 最後に、Amazonのレビューでこの著作がかなりの長文で「著者の理詰めのアジテーションだ」と、いたらない箇所を指摘されていて、非常に健全だなと思いました。これがリチャード・ローティ言うところの「アイロニー」なのではないかと思い、つまりこの著作が出版されたのは成功だったのだと。

 

 私からも何点か指摘がありまして、ちょっと誤字が多いのではないかと。それと、基本理詰めの著者が気に入らない考えに対して「厨二」だと切って捨てるところ。あと、「あとがき」で出て来る「実例」なんだけど、これは映画「アフター・ザ・ハント」という「フィクション」そのままを実例として挙げていて、あの映画は複数の実在の性的不祥事や大学でのハラスメント対応事例から着想を得たのであって厳密に言えば実例ではない。

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 ここは「複数の実在の性的不祥事や大学でのハラスメント対応事例から着想を得た映画『アフター・ザ・ハント』によれば」という使い方が正しいと言わざるを得ません。

 

 なんか今回少々口早にしゃべっているのをそのままテキストに起こした様な箇所が散見されます。

 

 著者の「コミュニタリアリズム(共同体主義)」ですが、現時点ではまだ刺さらないと思います。「そういう道もあるぞ」と、種を蒔いているのだとは感じますけど。でもこれって結局著者が援交ブームで警察に呼ばれた時に警察が吐き捨てた「今は女子高生たちが好き勝手やっているように見えるが、ひとたび焼け野原(有事やカタストロフ)になれば、彼女たちも規律に従い、みんなと一緒に協力して動くようになる」と言った内容を共同体に縮小してハイブロウにしているだけなのでは?と突っ込まざるを得ません。

映画「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」を観た感想|猫の日におすすめのハートウォーミング実話映画(ネタバレありです!)

 ※この記事はネタバレありです!

 

 今日は猫の日ということで、犬派の私ですが、猫の映画を見ました。「ボブという名のストリート・キャット」という、ノンフィクションを元に2017年に日本で公開された作品です。

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 あらすじは、ジャンキーのジェームズ(ルーク・トレッダウェイ)はホームレスの生活から抜け出そうと更生の道を歩もうとする。どうやら彼は何度か更生を試みようとしたけど、またジャンキーに戻るということを繰り替えしているらしい。

 

 更生者の為の住居が提供され、そこに茶トラ猫のボブ(のちにジェームズが命名)が迷い込んで来る。最初は飼い主がいるのだろうと思い、探し回るジェームズだったが、ボブが他の猫と喧嘩して傷を負ってしまったことがきっかけで飼うことになる。

 

 ジェームズを担当しているソーシャルワーカーのヴァル(ジョアンヌ・フロガット)が言うように「彼には心の支えが無い」状態だったが、ボブと一緒に生活するうちにジェームズは生きる力を取り戻していく。ボブもまたボブで、ジェームズに面倒をみてもらうということでふたりは相補的な関係になる。

 

 その証拠に、ボブに出会う前に路上で歌っているシーンはいかにもひ弱で、聴衆もほとんど彼の歌に魅せられない。力が沸き上がっていないからだ。

 

 そしてボブと共に路上で歌うシーンでは、力強さがありボブという「補正」もあるので聴衆も耳を傾け、二人(?)は目出度くお金を手に入れる。

 

 ↓こちらは実際にジェームズが歌っているシーンのYoutube動画。

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 隣人のベティ(ルタ・ゲドミンタス)とも交流して徐々に彼の更生が進行する。ベティは兄が麻薬で命を落としてしまっているので、薬物中毒者を嫌悪している。なのでジェームズは本心を明かせない。

 

 ジェームズはかなり幼い頃から麻薬をやっていたらしく、その為に父親から見捨てられている。だけど、彼が麻薬に溺れたのは実は父親が母親と不仲になり離婚したのが原因らしい。ここら辺はあまり映画では言及されていない。

 

 中盤過ぎまでジェームズは順調に回復しているのかと思いきや、トラブルが起こり路上での演奏を禁止されてしまう。麻薬中毒から更生中であることがベティにバレて疎遠になり、彼は追い詰められる。

 

 そしてここから彼は「反転攻勢」をする。本気で中毒から抜け出す為に家に閉じこもり薬を抜き、貧困者の為に設けられた雑誌を路上で売る仕事をする。

 

 伏線として出てきた雑誌記者の取材が、要するに映画の原作本が作られるいきさつとなっていて、彼は無事に復帰する訳だ。

 

 隣人のベティが引っ越すのは、元々兄が住んでいた場所で、彼女はずっと兄の死に囚われていたのだけれど、ジェームズが更生したのを近くで見ることでその呪いが解けた。

 

 父親にも謝罪をし、父もまた息子に対してちゃんと向き合っていなかったことを詫び、最後はこの映画の原作本の出版記念会にみんなが出席してハッピーエンド。

 

 レーティングに年齢制限も無いのでハートウォーミングな物語ですし、正直猫の日にはこれくらいがちょうどいい塩梅の内容だと思います。

 

 ひとつ気になった点としては、劇中に出て来る犬の扱い。なんか製作者の犬族に対する悪意を感じずにはいられませんでしたね。

Chatgpt5に描いてもらったイラスト。なんかファンシー。

「傷つきやすいアメリカの大学生たち」 感想・書評|3つのエセ真理が若者をダメにする原因と解決策

 以前から気になっていたある疑問というか、「行き過ぎた政治的配慮」に対する原因の調査とその回答が載っている、そんな著作です。

 「はじめに」と題して、本書は「3つのエセ真理」に言及する。その3つとは

  1. 脆弱性のエセ真理:困難な経験は人を弱くする
  2. 感情的決めつけのエセ真理:常に自分の感情を信じよ
  3. 味方か敵かのエセ真理:人生は善人と悪人との闘いである。

とあります。

 

 そして、アメリカの大学において、暴力を伴う妨害行為が起こったり、教員の言葉尻を捉えての糾弾、教授や学長を軟禁し暴言を浴びせる等の異常事態の事例を挙げていく。

 

 ここらへんに関して言及した映画で、「アフター・ザ・ハント」という作品があり、その感想の中で本書を紹介したので、この記事はその映画の感想記事と相補的な関係にあります。

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 で、結論というか、要点は「文明の発展によって、人々が安心・安全・快適・便利を追い求めた結果、人間が劣化した」ところにある。

 

 「ストレス」って、外部からの刺激の総称だけど、適度にさらされることで人は強くなっていく。本書ではピーナッツアレルギーのエピソードに象徴させている。人には危険が必要というか、当たり前過ぎるんだけど、人間は生き物で体がある(身体性)。

 

 「ヘリコプターペアレント」みたいに、親の過保護によって甘やかされた世代が、外部からの刺激に「適度に」さらされずに育った結果、心身ともに弱くなり認知を歪ませたので神経症みたいな反応が至る所で吹き上がって来ている訳だ。

 

 ネットの影響がそれに拍車をかけ、認知の歪みをさらに助長させると、ドラマ「アドレセンス」みたいに13歳の少年が同い年の少女を殺害してしまう結果になったりする。

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 本書では解決策も示されていて、つまりエセ真理の真逆を行えばいい。

  1. かわいい子には旅をさせ、人生の厳しさを体験させよ(起源不明だが、古来からの知恵)。
  2. 油断すると、自らの思考が最大の敵以上の害となる。しかし、ひとたび思考を支配できるようになれば、その恩恵は計り知れず、父母の助けよりも大きなものになる(ブッダ)
  3. 善と悪を分け隔てる境界線は、すべて人間の中にある(ソルジェニーツィン)

なんてことはない、古代の知恵に耳を傾ければいいのだと。

 

 問題は、この「正しさ」が通るのかということ。みんな自分の見たい世界しか見たくなくなっているこの世の中で、果たしてどれだけの人が古代の知恵に耳を傾けたり、そもそも本書を手に取って読んでくれるのか、それが問題ですね。

【姫様“拷問”の時間です 17巻感想】癒しすぎて泣ける…魔王が理想の父親すぎるほのぼの拷問ファンタジー

 私、あまり続き物の漫画は読まないといいますか、読み続ける体力が無いので、「望郷太郎」と「壇蜜」、そして今回紹介する本作しか読んでいません(なお、私は単行本派)。

 本作は少年ジャンプ+という、メジャーもメジャーな掲載先なので、いまさら紹介するまでも無いのかも知れませんが、まだ知らない方に説明すると、「ただひたすら『やさしい世界』で、ほのぼのとしたやり取りがえんえんと続く癒し系作品」です。

 

 剣呑なタイトルですが、「拷問」はどちらかというと「接待」と言い換えてもいいです。

 

 舞台はよくあるファンタジー世界で、主人公である「姫(本名は不明)」が、敵である魔王軍に捕まってしまい、毎回「拷問」という名の「接待」を受け、その内容が良いので所属している王国の秘密をバラしてしまうというもの。

 

 この、姫様が拷問に「屈する」のを、彼女の愛剣である「エクス」がツッコミを入れるというのがおなじみのパターンになっている。

 

 そこに、魔王軍の拷問官や魔王本人とその家族他、バラエティ豊かなキャラクター達が、魔王軍という呼び名とは真逆な本当に暖かい「人間性」を発揮して癒されます。

 

 この巻での好きなエピソードは、魔王の娘さん「マオマオちゃん」の入学式。娘の入学式に出席する為に有休を取る(魔王なのに有休?)魔王。この魔王様が本当に出来た人(?)で、まさに理想の父親なんですよね。

 

 この漫画を読んでいると「この世界に住みたい!この人たちの仲間になりたい!」って、心から思わせてくれて、気が付いたら私はこの作品世界を「ホームベース(安全基地)」みたいに感じているのがわかりました。でも、もちろんこんなやさしい世界もこんな優しい人たちもどこにもいないことが痛いほどわかっているので、読んでいると泣いてしまいます。

 

 なんか聞くところによるとこの作品、2026年1月5日から発売されている19巻で完結してしまったみたいですね。正直いついつまでも続いていて欲しかったです。

 

 ↓終わっちゃイヤー!><

ハサウェイは「アムロのIF」か?映画「閃光のハサウェイ キルケーの魔女」に見るファムファタルと虚無主義的攻撃性(ネタバレありです!)

 ※この記事はネタバレありです! 

 

 

第一部を見た経緯と感想

 

 今作は三部作となっていて、その第一部である「閃光のハサウェイ」を見てから第二部を見るのかどうか判断しようと思っていました。

 

 私が第一部を見て驚いたのは、現実世界のアメリカで今問題になっている「ICE(移民関税捜査局)」そのまんまみたいな連中が出て来たので、これは今日的なテーマを扱うのだなと思い、今回感想を書く第二部「キルケーの魔女」も劇場まで足を運んだ次第。ちなみに、ガンダムを劇場まで見に行くのは今作が初めてだったりします。

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 私はいわゆる「1st厨」だという自覚がありまして、今のガンダムも全てではありませんが結構チェックしていて、そのたびに「これはガンダムじゃない」みたいな老害力を発揮しておりました(アメコミ版「新機動戦記ガンダムW」とかw)

HAHAHA!でもう駄目だったw(Chatgpt君に描いてもらいました)

 私の定義するガンダムって、世界の残酷さや繰り返される歴史の愚行に対して抗うところだと思っています。それと、本作にはその本質に加えて、私的には「ノワール(暗黒小説)」の匂いも感じ取りました。ギギというファムファタル(運命の女)によってハサウェイの人生が狂わされ、破滅してしまうのだろうと。

 

 まあ、ハサウェイ的にはギギは「逆襲のシャア」で死んでしまったクェス・パラヤを思い出さざるを得ない立ち位置でもあり、彼のトラウマを無自覚にえぐる様なキャラ造形も手伝って、「未清算の過去」でもあるのでしょう。過去を清算しない限り彼は前に進むことが出来ない。

 でも、第一部冒頭シャトルでテロリストに襲撃される場面で、彼はクェスっぽい髪形(?髪なのかちょっとわかりづらい)のテロリストを見て一瞬フリーズしてしまうんですよ。だからこの時点では過去に囚われているのがわかる。

あえて原作小説を未読で臨む

 で、私実は原作の小説は未読で臨んでいるんですよ。

 確かにその気になれば小説を購読できたのですが、「あまり原作を知らない観客の目線」で視聴しようと思ったからで、その点でいうと第一部は正直「?いきなり主要登場人物とおぼしき3人が出合い、そこからほとんど唐突にテロリストが襲って来たけど、これ何?」みたいになりました。

 

 話の展開というか概要はもちろん知ってはいたりしますが、これはちょっと「初見殺し」な感じが否めません。とは言え終盤のΞガンダム対ペーネロペーは確かに盛り上がりました。戦っているシチュエーションが夜なのは、この作品内の事件「マフティー動乱」が暗闘であることを象徴していると思っています。

第二部の展開予測と、実際に見た感想

 

 で、ここからが本題。私は第二部の展開は

・3人の主要登場人物のプロフィール紹介

・地球連邦軍の腐敗っぷり

・連邦に抑圧され虐げられる人々の描写

が描かれるのではないかと予測していました。何故ハサウェイがシャアの真似事みたいな行動に出ているのか、その理由が示されるのだと。

 

 私の予想は少し外れて、観客が既に「逆シャア」を予習済みという前提で話が進んでいるので、ハサウェイのプロフィール紹介はむしろ「逆シャア」後のみでした。

 

 連邦の腐敗っぷりと虐げられる人々の箇所は、オエンベリのエピソードで象徴していましたね。もうICEというより「ナチ」的な振る舞い。

 

 それに加えて描かれていたのが、主要登場人物3人のキャラ造形。

 

 ハサウェイだけど、彼を見ていると、「アムロみたいに連邦に所属して抗っていくしかないのでは?」というルートがあるとは思うんだけど、それはケネスが辿っている道で、ケネスはアムロルートを選んだハサウェイのその後。禁欲的なハサウェイとは真逆なプレイボーイっぷりとか、モロに対照的なキャラ造形になっている。つまり、仮に連邦に所属したとしても、軍人として上からの命令で連邦に反旗を翻す何者かが現れたら、不本意ながらも始末しなければならないという立ち位置になる。

 

 そして、彼はこの第二部で過去を清算出来ないのが決定的になる。ギギに囚われてしまったが故に、ケリア・デースという彼女がいるにも関わらず連邦への反抗活動にのめり込んでしまった結果、ケリアに愛想をつかされる。この時点でもう彼の運命は決したも同然だったりして、見ていて痛々しい。

 

 ギギだけど、彼女は知的で奔放ながら、同時に繊細さも持ち合わせた複雑なキャラクターで、齢80を超えた老人の愛人だったけど、私からすればあまりにも退屈だから今回の動乱に加わっている感じ。香港の豪邸に入った時、やたらテンションの高い曲がかかったのは、彼女の生活の空疎さをむしろ強調させている。

 

 彼女のファムファタル(運命の女)っぷりは無自覚で、悪意がまったくと言っていいほど無いのが逆にキツイ。

 

 で、ケネス。「アムロルートを選んだハサウェイ」というキャラ造形なんだけど、レーンがハサウェイとの戦闘で騎士道精神という「美徳」を発揮したが故に敗北したのに激昂し、レーンを殴りつけ「甘ったれたこと言ってんじゃねぇ!」とばかりに弱肉強食の原理を説くのって、結局連邦に染まってしまっているんだよね。

 

 終盤の盛り上がりとしては、レーンが乗る「アリュゼウス」との対決。

 このアリュゼウスがまずいのは、コアの部分にνガンダムそっくりな機体が内蔵されていて、またしてもハサウェイは未清算の過去と対峙させられ、とうとう自分の中にあるアムロを殺してしまう。

 

 駄目押しとして、「ファムファタル(運命の女)」であるギギが、ハサウェイ側からしたら唐突といってもいい状況で彼の目の前に現れる。俳優で映画監督でもあるクリント・イーストウッドがこの作品を通して見たら「彼は運命に捕まった」と評するでしょう。本当に文字通り捕まってしまうんですよ!ここいいシーンでもなんでもないよ!

第三部が地獄であることを告げるエンディングテーマ

 エンドロールで流れる曲が、「Sweet Child O' Mine」という、ガンダムではいままでまったくそんなことしなかった出来事が起きる!本作でいちばんびっくりしたシーンはここだったりします! 

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 この曲の解説は調べてもらえればわかりますが、表向き甘ったるいラブソングに聴こえるけど、「失われた純粋さへの郷愁」と「未来への漠然とした不安」を本当は歌っている。つまり、ハサウェイは不可逆的に「シャアもどき」へと変わってしまったのだと。

個人的に気になった描写 

 私的に気になる描写はふたつあって、ひとつは食事のシーン。

 

 「フード理論」という、お菓子研究家福田里香さんが発見した、フィクションにおける食べ物で、登場人物の関係性を示す理論があります。

 第一部では、3人の人間関係を示す描写があって、同じ食卓に座りはするものの、ギギは既に食べた後で席を立ち、次にハサウェイも立つ。最後に残されたケネスだけがまだ食事に手をつけていないままで、彼らの関係性が示されている。

 

 第二部では、ハサウェイがその時点では彼女だったケリアに食事を差し出されたんだけど、同じ食卓につかず床につきそっぽを向いている。ここでもう二人の関係は終わっていたことがわかる。

 

 ケネスの元に行ったギギの描写だと、自室でケネスはギギと性的な関係を結ぼうと内心思っていたところに、外出着に着かえたギギが外出を促し、ふたりで一緒に食べようと思っていた食べ物には手が付けられていない。

 

 ここらへんはかなり意識的に演出しているのだろうなとは思いましたね。

 

 もうひとつは、「自然」。つまりハサウェイが守りたがっているもののひとつなんだけど、この大自然を執拗に写すことで、いかに人間の営みが愚かでちっぽけなものであるのを描写している。戦争を描いた最近の映画では、「ペリリュー  楽園のゲルニカ」も同じ描写だったりします。

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若年層が悲劇をちゃんと受け止めてくれるか

 

 この物語の展開と言うか結末はハッキリしていて、ハサウェイは最終的には連邦に捕縛され、処刑される。原作小説を読んでいるファンならそれはよく知っている訳で、原作小説の結末それ自体がギリシャ悲劇でいうところの「予言」であり、その「予言と言う名の運命には抗えないので受け入れるしかない」訳なんだけど、受け入れるのはハサウェイではなく物語の結末を見届けるガンダムファン。

 

 かなり今日的で普遍的な物語展開をしているのは非常に好感が持てますが、正直若い世代にこの声が届くのか不安だったりしています。何故かというと、現実世界の日本では極右への支持が圧倒的と言ってもいいくらいで、明らかに問題のある政治家を若年層がもてはやしているので、これから起きる悲劇をちゃんと受け取って「不可逆に傷つく」若年層の観客がどれくらいいるのかどうか。

 

 なんか聞くところによると、現実世界の海外では「Nihilistic Aggression(虚無主義的攻撃性)」なる人種がいて

・他責化: 自分の不幸は社会の構造や他者のせいである。

・他罰化: 自分が苦しいのだから、他者も同じ、あるいはそれ以上の苦痛を味わうべきだ。

・破滅願望: 自分が救われない世界なら、丸ごと終わってしまえ。

等と思っているそうな。それって今作での、マフティーの暴力は支持するけど高邁な理想は支持しない大衆みたい。だからこの三部作を見終えたとして、もしかしたら「胸糞悪ィ」とか「こんな終わり方あるかよ!」とかいう感想しか上がらないのではないかと危惧しています。